シドニーの中心部に、大きなドームを載せた古い建物がある。いまは服屋やカフェが並ぶショッピングアーケードで、外国からの観光客も普通に出入りしている。その建物のどこかに、封をされたまま誰にも読まれていない手紙が一通ある。差出人はエリザベス2世。宛先はシドニーの市民。開封が許されるのは2085年で、それより前に開けてはならないと決められている。書いた本人はもういないし、中身を知っている人間も、いまのところ一人もいない。
※注:クイーン・ヴィクトリア・ビルディング(現地では頭文字を取って「QVB」と呼ばれる)は、シドニーの目抜き通りに建つ19世紀の建物。もとは市場として作られ、現在は商業施設として使われている。
今日の知ってた?
✉️ エリザベス2世は1986年、シドニー市民に宛てた手紙を書き残している。手紙はシドニーのクイーン・ヴィクトリア・ビルディングに封をされたまま保管されており、2085年まで開けてはならないことになっている。その年のシドニー市長が封を切り、市民に向けて読み上げる——そこまでが決められている段取りで、中身が何なのかは公表されていない。1986年から数えて99年後。書いた当人はもちろん、当時この取り決めを見届けた人たちも、その場には誰一人いない。
背景:クイーン・ヴィクトリア・ビルディングとは
手紙が置かれている建物のほうから説明したい。クイーン・ヴィクトリア・ビルディングは、シドニーの中心部、ジョージ・ストリートに面して建つ石造りの大きな建物である。完成は1898年。名前のとおり、当時の英国君主ヴィクトリア女王にちなんで名づけられた。
もともとは市場として建てられたもので、中央に載った銅葺きのドームと、そこから左右に伸びる長いアーケードが特徴になっている。床のモザイク、ステンドグラスの窓、鋳鉄の手すり、木の階段。当時のオーストラリアが持てる技術を全部載せたような建物で、いまも中に入ると、買い物をしに来たのか見学に来たのか分からなくなる。
ただ、この建物はずっと大事にされてきたわけではない。20世紀の半ばには手入れが行き届かなくなり、都心の一等地を古い石の塊が占領しているという扱いになって、取り壊して駐車場にしてしまえという案まで出ている。実際に壊されなかったのは、保存を求める声が根強かったからだった。
そして1980年代、大がかりな復元工事が入る。傷んだ内装は元の図面に沿って作り直され、建物はショッピングアーケードとして生まれ変わった。再オープンしたのが1986年。女王の手紙も、この1986年のものである。取り壊されかけた建物がよみがえった年に、その建物へ「99年後に開けること」という条件つきの手紙が預けられた、という順番になる。
もう少し詳しく
封筒には、開ける人への指示が書かれている。手紙そのものは読めないが、外側に何が書かれているかは知られている。要約すればこういう文面である——「シドニー市長へ。2085年のうち、あなたが適切と考える日に、この封筒を開け、シドニー市民に私からの言葉を伝えてください」。つまりこれは、宛先が「未来のある職に就いている、まだ生まれていない誰か」に向けて書かれた指示書きということになる。日付は指定されているのに、日にちだけは受け取る側に任されている。この一行の呑気さが、なんとも言えず良い。
読み上げる相手も、まだ存在しない。2085年にシドニー市長を務めている人物は、この記事が書かれている時点でまだ生まれていない可能性が高い。手紙は「その人が生まれ、育ち、選挙に出て、当選する」という長い前提の上に置かれている。ふつう手紙というのは、書いてから読まれるまでの間に相手が変わらないことを前提にしているが、この手紙だけは、読む人が入れ替わることをあらかじめ織り込んで書かれている。
書いた本人は、読み上げを聞けないと分かっていた。1986年の時点で、女王は60歳になる年だった。99年後に自分がいないことは、計算するまでもなく分かっている。そのうえで開封の年を2085年に置いたということは、この手紙は最初から「返事が来ないこと」を前提に書かれている。実際、エリザベス2世は2022年に亡くなっており、封が切られるところを見た人間は、いまのところ地球上に一人もいない。
日本にも似たものがある。1970年の大阪万博に合わせて、大阪城公園の地下にタイムカプセルが埋められている。こちらの開封予定は5000年後の6970年で、99年どころの話ではない。同じものが二つ埋められていて、上のほうは状態を確かめるために定期的に掘り返すことになっている、という念の入れようである。シドニーの手紙が「読み上げる人を指定した一通の私信」だとすれば、大阪のそれは「文明そのものへの引き継ぎ書」に近い。どちらも、自分が立ち会えない日付に向かって物を置く、という同じ奇妙な行為から始まっている。
中身の予想は、たぶん外れる。秘密の暴露や重大な告白を期待する人は多いが、書かれているのは街への感謝と、これからも良い街であってほしいという願い——そのあたりで収まる可能性が高い。ただ、それが分かっていてもなお、2085年のシドニーで市長が封を切る瞬間には人が集まるだろうし、その場にいる誰も内容を知らない状態で最初の一行が読み上げられる。手紙の価値は中身ではなく、99年間開けなかったという事実のほうにある。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
これ、言い方がやたら仰々しいだけで、要するに「エリザベス2世が100年もののタイムカプセルに手紙を1通入れた」という話だと思う。封印、開封禁止、2085年。単語の選び方だけで事件性が出るのが面白い。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
たぶん中身も大したことは書いてない。この街で過ごした時間が楽しかった、これからも良い街であってほしい、そのくらいの上品な文面で終わるはずだ。むしろそのほうが、この話には似合っている気がする。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
上品な手紙で終わるのは分かっているんだけど、そのうえで少し切ないのは、開ける日を99年後に置いた時点で、書いた本人も、当時それを見届けた人たちも、その場には一人も残らないと決まっていることなんだよな。
4. 海外の名無しさん
2085年って、いまこの話を読んでいる人間のほとんどが立ち会えない年だ。手紙そのものより、その日付を指定するという行為のほうがよほど大胆だと思う。返事が来ないと確定している手紙なんて、そうそう書けない。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
うちの子が去年生まれたので計算してみたら、封が切られる年にちょうど還暦を迎えることになる。理屈のうえでは間に合っている。その日にあの建物の前に立っている姿を想像したら、急にこの話が自分ごとになってきた。
6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
とりあえず59年後に通知が来るように設定しておいた。設定した本人が受け取れるかどうかは正直あやしいが、こういうものは申し込んでおくことに意味があると思っている。
7. 海外の名無しさん
中身はシドニーへの悪口を並べたラップの歌詞だという説を推したい。金庫で99年寝かせてから世に出る、史上もっとも待たされた新曲ということになる。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
「よく聞け、宮廷楽師よ、ひとつビートを頼む。私の名はリジー、今日は言いたいことがあって来た——」。これを市長が礼服のまま、大真面目に読み上げるところまで含めて完成度が高い。
9. 海外の名無しさん(>>7への返信)
締めの一行は「あの美しい湾がなかったら、お前の街に大した値打ちはない」で決まりだと思う。地形を褒めているのか街を貶しているのか判別がつかないところが、いちばん効く。
10. 海外の名無しさん
「親愛なるシドニーへ。あなた方流刑囚の末裔は、まことに粗野であると私は思います。ではごきげんよう。リジーより」。こういう内容だったら、市長は読み上げの途中で一度手が止まるはずだ。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
とんでもない侮辱だ、首相のところまで持っていってやる。……という反応が真っ先に出てくるあたり、この国は自分たちが流刑地から始まったことを完全に笑い話に変換し終えていると思う。
12. 海外の名無しさん
「これを読んでいるということは、私はすでに死んでおり、報復の届かないところにいる。よってはっきり書いておく。メルボルンのほうが良い街である」。99年待ってこれが出てきたら、シドニー市民は本気で怒っていい。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
この二都市の張り合いを知らない人のために書いておくと、シドニーとメルボルンはコーヒーの味から住みやすさの順位まで、何十年も言い合いを続けている。手紙の一行でそれを蒸し返すのは、時限装置としてかなり性能がいい。
14. 海外の名無しさん
「これらの土地はすべて汝らのものである。ただしホバートを除く。かの地には決して降り立つな」。『2001年宇宙の旅』の続編に出てくる有名な警告文の口調をそのまま持ち込むと、上品な手紙が急に不吉になるのが面白い。
15. 海外の名無しさん
中身の予想。「カンガルーとワラビーの違いが、いまだに分かっておりません。ここまで来てしまうと、今さら誰にも聞けません」。一国の元首がこれを99年寝かせてから告白してきたら、逆に許してしまう気がする。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
今日ちょうど動物園で両方を見てきたところなので答えられる。カンガルーのほうが大きい。以上だ。これで解決ということにしていいと思う。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
もう少し正確に補足すると、カンガルーは動物のほうで、ワラビーはニュージーランド相手にラグビーで負けるほうだ。ワラビーズというのはオーストラリアのラグビー代表の愛称のことね。これで完全に理解できたはず。
18. 海外の名無しさん(>>15への返信)
ワラルー、パデメロン、ポトルー、ベトング、クオッカあたりが控えていることを知ったら、女王はもう一通書き足さなければいけなくなる。この国の有袋類は、名前の段階で人を振り落としにくる。
19. 海外の名無しさん
43ページにわたってベジマイトへの不満が綴られている可能性も残っている。あの黒いペーストは、この国の外にいる人間には最後まで理解されない食べ物として世界的に有名なので、根に持っていてもおかしくない。
20. 海外の名無しさん
「ここは名誉ある場所ではない。ここで讃えられた偉業は何もない。価値あるものは何一つ置かれていない」。核廃棄物の処分場に刻むために考えられた、あの実在する警告文の文面をそのまま入れておいてほしかった。開封の瞬間に会場が凍る。
21. 海外の名無しさん
いっそ今日開けてしまえばいい、もうバレないんだから、というのは冗談として、99年という距離を決めた本人が誰も見届けられない設計そのものが、この手紙のいちばん面白いところだと思っている。
22. 海外の名無しさん
封を開けたら「P・シャーマン、ワラビー街42番地、シドニー」とだけ書いてあったら、その場にいる全員が一斉に『ファインディング・ニモ』を思い出して笑うことになる。それはそれで、理想的な使われ方という気がする。
23. 海外の名無しさん
建物のほうも書いておきたい。この手紙が置かれているクイーン・ヴィクトリア・ビルディングは、かつて取り壊して駐車場にしようという案まで出ていた建物だ。生き延びた建物の中に、99年開けない手紙が置いてある。組み合わせとして出来すぎている。
24. 海外の名無しさん
2085年にこれを読み上げる市長は、まだ生まれてもいない。その人がどういう国の、どういう立場でこれを読むことになるのかも、いまの誰にも分からない。分からないまま置いておけるところが、この手紙のいちばん良いところだと思う。
まとめ
エリザベス2世が1986年に書き、シドニーのクイーン・ヴィクトリア・ビルディングに封をされたまま置かれている手紙。開封が許されるのは99年後の2085年で、その年のシドニー市長が封を切り、市民に読み上げることになっている。コメント欄は「中身はシドニーへの悪口だ」「メルボルンのほうが良い街だと書いてある」といった予想合戦で大いに盛り上がりつつ、途中から「開ける日をそこに置いた時点で、書いた本人も、いま騒いでいる自分たちも、その場には誰もいない」という話に静かに折り返していく。読まれないと分かっている手紙を書き、99年先の他人に託す。中身が何であれ、この一通がやっていることのほうがよほど珍しい。

コメント
生きている間に顛末を知れないのがもどかしいな、多分死んどる