1995年、アメリカで一つの刑事裁判が終わった。連日テレビで中継され、国じゅうが結論を待っていた裁判である。ただ、あまり語られない数字が一つある。この裁判の陪審員は、選ばれてから評決が読み上げられるまでの265日間、家に帰ることを許されなかった。ホテルの一室に留め置かれ、報道からは切り離され、電話も面会も管理され、外へ出るときは係官が付き添った。事件と評決の陰で、名前も知られない十二人が九か月近くを外の世界から遮断されて過ごしていた。
※注:アメリカの刑事裁判で有罪か無罪かを判断するのは裁判官ではなく、市民から選ばれた陪審である。重い刑事事件では、その結論に全員の一致が求められるのが原則。また本文でいう「隔離」は感染症のそれではなく、報道や外部からの働きかけを陪審員に届かせないための裁判上の措置を指す。
今日の知ってた?
⚖️ 1995年に評決が出たO・J・シンプソンの刑事裁判で、陪審員は265日間にわたって隔離された。裁判所が用意したホテルに寝泊まりし、外部との接触は厳しく管理された。渡される新聞や雑誌からは事件に触れた部分が抜かれ、電話も面会も制限され、移動のたびに係官が同行した。事件は毎日テレビで流れ、街でも職場でも議論されていたのに、判断を委ねられた当人たちだけが、その議論から完全に遮断されていたことになる。そして評決そのものは、審理が終わってから4時間足らずでまとまった。
背景:全米が見ていた裁判と、「隔離」という措置
まず、どういう裁判だったのかを短く。O・J・シンプソンは、アメリカンフットボールの花形選手として名を成し、引退後は俳優や解説者としても知られていた人物である。1994年、元妻とその知人が殺害された事件で起訴され、ロサンゼルスで刑事裁判にかけられた。法廷にカメラが入り、審理の様子がそのまま茶の間に流れたこともあって、裁判は事件そのものを超えた社会現象になっていく。1995年10月に無罪の評決が出て、その後、遺族が起こした民事訴訟では賠償の支払いを命じられている。刑事と民事で結論の向きが違ったことも含め、この裁判が今も語られ続けている理由だ。
その裁判で採られたのが、陪審員の隔離だった。ふだんの裁判では、陪審員は昼のあいだ法廷に通い、夜は自分の家に帰る。渡されるのは「事件の報道に触れない、誰とも話さない」という約束だけで、それが守られている前提で審理は進んでいく。
ところが、その約束が現実的でなくなる裁判がある。テレビをつければ事件の話をしていて、家族も同僚も自分の意見を持っている——そこまで報道が広がると、「見ない、聞かない」で通すのは無理になる。そこで陪審員をホテルに集め、外部との接触そのものを断ってしまうのが隔離である。手続きとしては最後の手段に近く、それだけ裁判所が判断の中立を守ることに神経を使っていた、という話でもある。
もう少し詳しく:265日が何に費やされたのか
最初に押さえておきたいのは、265日は「議論に費やした時間」ではないということ。陪審員が選ばれてから評決が読み上げられるまでの、審理まるごとの日数である。実際に結論をまとめるのにかかったのは、審理が終わってからの4時間足らずだった。九か月近くを外の世界から切り離されて過ごし、最後は半日もかからずに答えが出た、という順番になる。
その九か月のあいだに、陪審の顔ぶれは何度も入れ替わった。体調、規則違反、公平さへの疑い——理由はさまざまだが、審理の途中で解任された陪審員が何人も出て、そのたびに補欠が席に着いている。補欠の人数が尽きかけるところまでいったと報じられており、そもそも審理を最後まで続けられるのかが本気で心配される場面もあった。裁判が長引くほど、この「途中で欠ける」という危うさが大きくなる。
閉じ込められた側にも、当然ながら不満は溜まっていく。1995年の春には、陪審員たちが揃って黒い服を着て法廷に現れ、待遇への抗議の意思を示したと伝えられている。付き添う係官の交代をめぐるやり取りが引き金だったという。判断を求められている当人たちが、判断そのものではなく自分たちの生活環境をめぐって裁判所とやり合っていたわけで、隔離という措置の重さがよく表れている。
そして隔離は、始まる前の段階で陪審の顔ぶれまで決めてしまう。何か月も家と職場を離れれば暮らしが立ちゆかない、という人は、選ばれる過程で外れていく。残りやすいのは、休んでも収入が途切れない働き方をしている人と、そもそも働いていない人だ。公平な判断を守るための措置が、判断する人の偏りを生む方向にも働いてしまう。この裁判のあと、アメリカで長期の隔離に慎重な空気が広がったといわれるのは、その副作用が誰の目にも見えるかたちで残ったからだろう。
日本の裁判員制度と並べてみると
日本にも、市民が刑事裁判に加わる仕組みがある。2009年に始まった裁判員制度だ。殺人など重い罪に問われた事件で、くじで選ばれた裁判員6人が裁判官3人と一緒に法廷に立ち会い、有罪か無罪かだけでなく、有罪ならどの程度の刑にするかまでを一緒に決める。有罪か無罪かの判断が中心になるアメリカの陪審とは、担う範囲がまず違う。
もう一つ大きく違うのが、拘束される長さである。裁判員裁判は事前に争点を絞ってから審理に入るので、多くは数日で終わる。裁判員は自宅から裁判所へ通うのがふつうで、審理のあいだずっとホテルに留め置かれるような運用は原則としてとられていない。日当も、1日あたり1万円を上限に支払われる。争点の多い事件で審理が数か月に及んだ例もあるため「必ず数日」とは言えないが、265日を外の世界から切り離して過ごす、という形とはやはり距離がある。
逆に、共通しているところもある。日本の裁判員にも、話し合いの中身を外で話してはいけないという守秘義務があり、これは裁判が終わったあとも続く。市民に裁いてもらう以上、どこの国でも誰かに何かしらの負担を引き受けてもらうことになる。違うのは、その負担をどこに、どれくらいの重さで置くかという部分だ。265日という数字は、その置き方が一方に振り切れたときに何が起きるのかを、そのまま残した記録でもある。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
正直に言うけれど、九か月も閉じ込められた末に「で、結論は?」と問われたら、私は家に帰れるほうの答えに丸をつけてしまう気がする。公平な裁判を守るための隔離が、かえって判断を歪めるほうに働きかねないのが怖いところだ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
実際にそうなった側の人間です。土地の収用をめぐる民事の陪審に入って、土地の値段をどう算定するかという専門家の証言を三日かけて聞いた。ところが評議に入ったら、誰も習ったとおりに計算しようとしない。行政に一泡吹かせたいという人と、地主が有名な資産家と同じ名字なのが気に入らないという人がいて、話が前に進まなかった。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
まる一日たっても決まらず、法廷の係官に「結論が出るまで帰せない」と言われた。それで残りの全員が折れて、声の大きい側が出していた数字にそのまま合わせた。後日、両方の弁護士のところへ何があったかを話しに行ったよ。そのときにはもう双方で和解が済んでいたけれど、話しておいてよかったと言われた。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
有罪か無罪かならまだ分かるけれど、土地の値段のような数字まで素人に決めさせるのは無理があると思う。そこは専門家の領分だろう。市民に委ねるべきことと、そうでないことの線引きが雑なんじゃないか。
5. 海外の名無しさん
この手の話を聞くたびに気になるのが、その間の仕事と生活費のこと。陪審に呼ばれたからといって給料が出続けるわけじゃない。九か月も抜けたら、家賃も保険も子どもの学費もどうにもならなくなる。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
そこは選ぶ段階で処理される。長期の隔離では生活が成り立たないと説明できた人は、選任の過程で外されていく。だから最後まで残るのは、退職して収入の心配がない人か、休んでも給料の出る職場に勤めている人になる。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
それはそれで別の問題を生むよね。生活に余裕のある人ばかりが残れば、陪審はもう社会の縮図ではなくなる。自営業者の資金繰りが争点になる裁判で、その苦しさを実感として分かる人が一人もいない、ということが普通に起きる。
8. 海外の名無しさん(>>5への返信)
うちの会社の規定だと、陪審に出た日の給料が補填されるのは15営業日まで。それを超えたら無給になる。265日と聞いても、そもそも参加できる人がどれだけ限られるかがよく分かる数字だと思った。
9. 海外の名無しさん
本が好きだから、閉じ込められても読み放題ならむしろ悪くないかも……と一瞬考えた。でも「家族に九か月会えないし、猫の顔も見られない」と気づいた瞬間に、その考えはきれいに引っ込んだ。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
猫缶を265個ぜんぶ開けて並べておいて、一日ひとつずつ食べるように言い残していけば解決する。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
それは猫に言い残すのか、それとも家に残る家族に言い残すのか、そこをはっきりさせてほしい。前者だとしたら、九か月後に待っているのは相当な光景になると思う。
12. 海外の名無しさん
勘違いしている人が多いけれど、265日かけて話し合ったわけじゃない。陪審員が選ばれてから評決が読まれるまでの、裁判ぜんぶの期間のこと。結論そのものは、審理が終わってから4時間足らずで出ている。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
その4時間の短さこそ265日の結果だと思うんだよね。ようやく外に出られるという状況で、あらためて何日も議論を続けたい人がどれだけいるか。長く閉じ込めたぶんだけ、最後の議論が薄くなるという皮肉。
14. 海外の名無しさん
「陪審員のほうが被告人より長く閉じ込められていた」という言い方をあちこちで見かけるけれど、そこは事実が違う。被告人は逮捕された時点から評決の日まで身柄を拘束されたままだった。陪審員が気の毒なのは確かでも、そこを混ぜると話がおかしくなる。
15. 海外の名無しさん
昔、陪審員の候補として呼ばれて質問を受けたことがある。隣に座っていた小柄なおばあさんが「選ばれませんように、忙しくなるのは嫌だわ」とずっとつぶやいていたのに、答え方が検察側の理想そのもので、結局そのおばあさんが選ばれた。がっかりした顔がいまだに忘れられない。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
しかもそれ、補欠の三番目という席だった。最後まで全部聞かされるのに、誰かが抜けない限り票は持てない。話としては一番割に合わない立場だと思う。
17. 海外の名無しさん
当時の日当は一日五ドルだった、という話をどこかで読んだ記憶がある。その一方で、評決のあと陪審長にインタビューの謝礼として十万ドルの提示があったとも報じられていた。同じ九か月をめぐる金額として、落差があまりに大きい。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
それはごく一部の人の話でしょ。注目を浴びて得をした人がいたとしても、九か月分の生活と引き換えに全員が同じ額を受け取れたわけじゃない。むしろ、そのあと静かに元の暮らしへ戻れたかどうかのほうが気になる。
19. 海外の名無しさん
隔離が今ではめったに行われないのには、ちゃんと理由がある。まず引き受けられる候補者が一気に減る。そして閉じ込められた不満が、どこかの誰かに向かってしまう。公平にするための手続きが、逆に偏りの種になりかねない。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
この裁判のあと、長期の隔離には各地の裁判所が慎重になったと聞いた。手続きのほうが裁判の中身より語られてしまった時点で、制度としては失敗だったという見方もできると思う。
21. 海外の名無しさん
日本には陪審ではなく裁判員という制度があるらしい。市民が裁判官と一緒に審理に加わるけれど、期間は数日程度で、自宅から通うのが普通だとか。同じ「市民が裁く」でも、九か月ホテルというのはまったく別の世界の話に聞こえる。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
期間が短い代わりに、対象になるのは重い事件だけらしいね。話し合った中身を外で話してはいけないという決まりもあるそうだ。市民を巻き込む以上、どこの国でも必ず何かしらの負担が生じるということなんだろう。
23. 海外の名無しさん
「九か月ホテル暮らし」と聞くと少しうらやましく感じる人もいるかもしれないけれど、外出も通話も面会も管理された九か月だからね。行き先の決められた長い出張どころではないし、しかも自分の意思で選んだわけですらない。
24. 海外の名無しさん
評決の中身についてはいろんな意見があるだろうけれど、この話で一番残ったのは、名前も知られないまま九か月を差し出した十二人がいた、という部分だった。記録に残るのは事件と結論だけで、そこはほとんど語られない。
まとめ
1995年に評決の出たO・J・シンプソンの刑事裁判で、陪審員は265日にわたって隔離され、ホテルと法廷を往復するだけの九か月を過ごした。報道からは切り離され、電話も面会も管理される。それだけの日数をかけながら、評決そのものは4時間足らずでまとまっている。刑事裁判では無罪の評決が出て、その後の民事訴訟では賠償の支払いが命じられた。結論の受け止め方はいまも人によって違うけれど、コメント欄で繰り返し話題になったのはそこではなかった。「では、その九か月を差し出した人たちの暮らしはどうなったのか」という一点である。仕事と収入をどうするのか、そもそも生活に余裕のある人しか残れないのではないか、そうやって選ばれた十二人は本当に社会の縮図と言えるのか。公平な裁判を守るための仕組みが、その公平さのほうを削ってしまうことがある。この裁判は、その難しさが誰の目にも見えるかたちで残ってしまった例だった。
元ソース: O・J・シンプソン裁判の陪審員は265日にわたって隔離されていた。それは極度の孤立と、絶え間ない監視をともなうものだった

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