「大工の請求が高すぎる」と訴えて勝った女性が、16年後に絞首台へ…セイラムより36年前のボストンで起きたこと

「大工の請求が高すぎる」と訴えて勝った女性が、16年後に絞首台へ…セイラムより36年前のボストンで起きたこと 歴史

「請求書が高すぎる」——自宅の工事を頼んだ大工たちを、ボストンのある女性が裁判に訴えた。1640年のことである。判決は彼女の勝ち。ところがその16年後、同じ女性が絞首台に立たされている。罪状は、魔女であること。よく知られたセイラムの魔女裁判より、さらに36年も前の話である。

※注:ピューリタンは、イングランド国教会をさらに改革すべきだと主張した厳格なプロテスタントの一派。17世紀前半に多数が新大陸へ渡り、いまのアメリカ北東部に「信仰でまとまった共同体」としての植民地を築いた。ボストンはその中心地である。

今日の知ってた?

⚖️ 1640年、ボストンに暮らすアン・ヒビンズは、自宅の工事を請け負った大工たちを「代金を取りすぎだ」として訴え、勝訴した。ところがその振る舞いが「角が立つ」と見なされ、彼女は教会の審問にかけられる。大工たちへ謝罪することを拒んだ結果、教会から公に戒告を受け、最終的に破門された。教会が挙げた理由は、彼女が「夫の権威を侵した」こと。そして夫が亡くなってから数か月のうちに、今度は魔女としての手続きが始まる。1655年に有罪判決が出て一度は取り消されたものの、1656年5月14日、植民地の議会であり最高法廷でもあった総会が改めて有罪を評決し、絞首刑が言い渡された。

背景:教会と裁判所が地続きだった街

1630年前後、イングランドでの立場を失ったピューリタンたちが大西洋を渡り、いまのマサチューセッツ一帯に入植した。彼らが作ろうとしたのは、単なる新しい土地ではなく、聖書の教えどおりに運営される共同体そのものだった。ボストンはその中心にあった街である。

この植民地で決定的に重要だったのが、教会の正式な会員であるかどうかだった。会員資格は信仰の証明にとどまらず、植民地の意思決定に加われるかどうかにも直結していた。つまり破門は、現代人が想像するような「もう礼拝に来なくていい」という話ではない。共同体の中での身分と信用が、まとめて剥がされることを意味した。

そして、教会の審問と世俗の裁判は、手続きとしては別物である。それでも、両方を回していたのは同じ街の同じ顔ぶれだった。教会で「あの人は棘がある」と評価が固まった人物が、法廷でだけは公平に扱われる——そんな仕組みにはなっていない。

「夫の権威を侵した」という言い方も、この社会の前提を知らないと意味がつかめない。当時のピューリタン社会では、家庭は夫を頭とする秩序の最小単位であり、家の中の秩序と共同体の秩序はひと続きのものと考えられていた。妻が夫を通さずに職人と争い、しかも自分の側が正しいと言って譲らない。そのこと自体が、秩序への挑戦として問題にされた。記録を読むかぎり、彼女の訴えの中身が間違っていたと責められたわけではない。

もう少し詳しく

記録に残っているのは、因果関係ではなく順番である。ここは丁寧に分けておきたい。分かっているのは、1640年に訴訟があり、その後に教会の審問があり、破門があり、夫の死があり、その数か月後に魔女としての手続きが始まった、という順番だけである。元スレで引用されている記述にも、大工たちが魔女告発を仕掛けたとは書かれていない。訴訟から絞首刑まで16年が空いていることも押さえておきたい。1655年の有罪判決がなぜ一度取り消されたのか、法廷でどんな「証拠」が並べられたのかについても、元スレでは誰も具体的なところまでは示していない。

1656年5月14日の法廷記録は、いまでも読める形で残っている。そこにはこう書かれている。

ミセス・アン・ヒビンズが呼び出され、法廷に立った。起訴状が読み上げられ、彼女はこれに対し無罪と答え、神とこの法廷によって裁かれることを望むと述べた。彼女に不利な証拠が読み上げられ、証言する者たちも同席し、彼女の答弁が検討された。そして法廷全体が集まり、その投票により、アン・ヒビンズは陪審が認めた起訴状のとおり魔術の罪を犯したものと決した。総督は公開の法廷で判決を言い渡し、彼女は法廷から元いた場所へ戻され、そこから処刑の場へ送られ、死ぬまで吊るされることとなった。

始まりは、行いではなく「態度」への評価だった。この一連の流れで目を引くのは、最初のきっかけが「角が立つ」という人物評だったことである。誰かに害を与えたと訴えられたわけでも、契約に違反したわけでもない。しかも記録によれば、大工たちに謝ってしまえば審問はそこで終わっていた。彼女はそれを拒み、破門された。勝訴そのものより、頭を下げなかったことのほうが重く扱われている——そう読める記録が、17世紀の書類として残っている。

セイラムより、36年前のボストンで。魔女裁判といえば1692年のセイラムがあまりに有名で、日本ではほぼその一件しか知られていない。だがアン・ヒビンズの絞首刑はそれより36年早く、場所もセイラムではなくボストンだった。集団的な熱狂として語られるセイラムと違い、こちらは一人の女性をめぐって、訴訟・教会の審問・破門・告発と、記録の残る手続きが何年もかけて積み重なった末の結末である。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
訴訟に負けたら相手を魔女ということにすれば、判決ごと無かったことにできる。史上もっとも性質の悪い必勝法だと思う。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
それが、訴えが1640年で絞首刑が1656年。16年も空いている。元スレで引用されている記述にも、大工たちが告発を仕掛けたとは一言も書かれていない。

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
とはいえ「共同体で扱いにくい人間を、合法的な手続きで片付ける」道具として告発が使われた例は各地にある。この件がそうだったと断定はできないけれど。

4. 海外の名無しさん
法廷記録がそのまま残っているのがすごい。「無罪です、神とこの法廷によって裁かれることを望みます」と答えた、というところまで書いてある。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
「無罪を主張した」と一行で要約されるより、本人の言い回しで残っているほうが圧倒的に重い。しかもこの言葉のあとに、法廷全体の投票で有罪、という順番だ。

6. 海外の名無しさん
破門というと「もう教会に来なくていいですよ」くらいに聞こえてしまうけど、当時のボストンだと市民としての立場ごと消える話だったはず。

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
そう。教会の正式な会員かどうかが、植民地の意思決定に加われるかどうかに直結していた。信仰の問題というより、身分証を取り上げられるのに近い。

8. 海外の名無しさん
教会が挙げた理由が「夫の権威を侵した」なのがずっと引っかかる。請求が高すぎるという彼女の主張が間違っていた、とは誰も言っていないわけで。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
しかも大工たちに謝れば、そこで終わっていた話だったらしい。勝ったこと自体より、頭を下げなかったことのほうが問題にされている。

10. 海外の名無しさん
工事代金でもめた話だと思って読み始めたのに、着地点が絞首台だとは思わないだろ。見積もりトラブルの顔をして始まるな。

11. 海外の名無しさん
読み書きができて、契約の中身を自分で確かめられた。それだけでもう、当時の基準では十分に怪しい人物ということになったんだと思う。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
しかも請求書の水増しに気づけるくらい計算もできたわけだ。文字が読めて数字も合う。これはもう悪魔の仕業ということにするしかない。

13. 海外の名無しさん
魔女裁判といえばセイラムしか知らなかった。その36年も前に、ボストンで魔女として処刑された人がいたというのは素直に驚く。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
1692年には、幽霊を見たという類の「幽体の証言」を証拠として採らない裁判所がマサチューセッツにできる。それが今の州の最高裁につながっているらしい。

15. 海外の名無しさん
魔女裁判はライ麦に生えるカビ(麦角菌)の中毒で幻覚が出たせいだ、という説を聞いたことがある。でもこうやって財産が動いた例を並べられると、パンのせいにするのは無理がある。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
麦角説で説明がつくのは「見えた」と言った側の症状であって、告発して得をする側の動機ではないからね。両方が同時にあった可能性は普通にあると思うけど。

17. 海外の名無しさん
未亡人が狙われやすかったという話は何度も読んだ。夫が死んだ時点で財産の管理が本人に移るから、その人が消えれば行き先が変わって得をする側が出てくる。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
ただ、財産目当てで全部を説明するのもそれはそれで単純すぎると思う。近所付き合いのこじれとか、本気で悪魔がいると信じていた人とか、動機は一つじゃなかったはず。

19. 海外の名無しさん(>>17への返信)
相手が消えれば返さなくて済む、という発想そのものは魔女に限った話でもない。掲げる看板が変わるだけで、同じ形の話はいくらでも見つかる。

20. 海外の名無しさん
フィンランドでは、告発された人も有罪になった人も男性のほうが多かったと聞いた。もともと村の呪術めいた役割は男の仕事だったので、その担い手がまとめて標的になったらしい。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
場所によってここまで違うのが面白い。スコットランドでも、処刑された人の骨を調べたら男性がかなりの割合を占めていた、という話を読んだ覚えがある。

22. 海外の名無しさん
ドイツだと魔女裁判は普通に授業で扱う。国語の時間に関連する小説を一冊読まされて、歴史でも別に一単元あった。他の国ではそうでもないのか。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
アメリカだと「昔の人はとにかく信心深かったんだよ」で終わって、そのまま次の単元に進む。財産が動いていた話まではまず出てこない。

24. 海外の名無しさん
訴えられた大工たちがその後どうなったのか気になって元スレを最後まで読んだけど、誰も触れていなかった。名前が残って語り継がれているのは、訴えた側のほうだけだ。

まとめ

1640年、アン・ヒビンズは自宅の工事を請け負った大工たちを過大請求で訴えて勝訴した。しかしその振る舞いが「角が立つ」とされて教会の審問にかけられ、謝罪を拒んだ末に破門される。理由として記録されたのは「夫の権威を侵した」ことだった。夫の死から数か月後に魔女としての手続きが始まり、1656年5月14日、法廷は投票で有罪を決めて絞首刑を言い渡す。訴訟から数えて16年後のことである。コメント欄では「払いたくないから魔女ということにしたんだろう」という冗談が最初に伸び、そのすぐ下に「16年空いているし、大工が告発したとはどこにも書かれていない」という冷静な指摘がぶら下がっていた。麦角菌の中毒説、フィンランドでは男性の被告のほうが多かったという話、学校でどこまで教わるかの国際比較——脱線を重ねながらも、話は「誰が得をしたのか」に何度も戻っていった。

元ソース: ピューリタン時代のボストンで、大工たちを過大請求だと訴えて勝訴した女性アン・ヒビンズは、のちに魔女として処刑された

コメント

  1. Reddit名無しさん says:

    法的に正しいと認められている記録によると、人類に仇なす魔女は実在し、邪悪な魔法を用いていたのは紛れもない事実。 理系には理解できない世界だぜw