「バンドを抜ける。もうアメリカには行けない」——世界で最も売れていたロックバンドのドラマーは、ツアーのたびにそう言い出したという。するとマネージャーは決まってこう返した。「ガレージに来い。見せたいものがある」。そこには新品のランボルギーニが停まっていた。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムは、家に帰りたくて泣いていた男でもある。
※注:1970年代の欧米ロックバンドの北米ツアーは、数週間から数か月にわたって都市を移動し続けるのが当たり前だった。携帯電話もインターネットもなく、国際電話は交換手に申し込んで順番を待つような時代である。ホテルの部屋で家族と気軽に顔を合わせる手段は、この時代には存在しない。「家に帰れない」の重さが、いまとはかなり違う。
今日の知ってた?
🥁 レッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムは、アメリカ・ツアー中の激しいホームシックに苦しみ、人前で泣いてしまうこともあった。「バンドを抜ける、もうアメリカには行けない」と彼が言い出すたび、マネージャーのピーター・グラントは「ガレージに来い、見せたいものがある」と連れ出した。そこには新品のランボルギーニが停まっている。そうやってツアーは続いた——というのが、ボーナムと親しかったギタリスト、リッチー・ブラックモアの証言である。ボーナムは酒に頼るようになり、1980年、32歳で亡くなった。
背景:ジョン・ボーナムとレッド・ツェッペリン
レッド・ツェッペリンは1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンドである。「胸いっぱいの愛を」「移民の歌」「天国への階段」——日本でも曲名を聞けば「ああ、あれか」となる人は多いだろう。1970年代を通じて、世界でいちばんチケットが売れるバンドだった。
ただ、メンバー個人の名前となると話は変わる。日本で挙がりやすいのは、金髪のボーカル、ロバート・プラントと、ギターのジミー・ペイジあたりまでだ。今回の主役であるジョン・ボーナムは、4人目のメンバーであるドラマーで、プラントとはイングランド中部の同郷。地元のバンド仲間から、そのまま世界一のバンドの後ろに座ることになった人である。
ドラマーとしての評価は、手数の多さではなく一発の音の重さにある。バスドラムを踏み込んだときの、床から突き上げてくるような太い音。彼が叩いた数小節のドラムは、その後のロックだけでなくヒップホップの現場でも繰り返しサンプリングされ、本人が亡くなってから生まれた音楽の中でいまも鳴り続けている。愛称は「ボンゾ」。
周囲の証言はおおむね一致している。ツアーが嫌いで、家族が好きだった。そして同じくらいの数で、こういう証言もある——酒が入ると、まったく別の人間になった。
1980年9月25日、ボーナムは32歳で亡くなった。同じ年の12月、バンドは解散を発表する。亡くなった友人への思いと遺族への敬意、そして自分たちとマネージャーが分かちがたく感じている一体感から、これまでのように活動を続けることはできないと判断した——という趣旨の、ごく短い声明だった。ドラマーの交代でバンドが続く例はいくらでもあるが、彼らはそうしなかった。
もう少し詳しく
「ガレージに来い、見せたいものがある」。この話の出どころは、ボーナムと親しかったギタリスト、リッチー・ブラックモアが自身のYouTubeチャンネルで語った回想である。ブラックモアによれば、ボーナムはバンドに向かって何度も「抜ける。もうアメリカには行けない。あれは無理だ」と言っていた。するとピーター・グラントが「ガレージに来い、見せたいものがある」と誘う。「何を?」とついていくと、そこにボンゾがちょうど欲しがっていた新車のランボルギーニが置いてある。「そうやって彼は戻ってきた」というのがブラックモアの言い方だ。そして、こうも続けている。何度か、家に帰りたくて泣いてしまったことがあったと。
望んでいたのは「バーミンガムの小さなバンド」だった。ブラックモアの証言はこう続く。アメリカにいたくない、妻に会いたい、大きなバンドにいたくない。バーミンガムの小さなバンドで、ただ演奏していたかった。名声のようなものは、どうでもよかった——。世界一のバンドのドラマーの席と、地元のパブでの演奏を天秤にかけて、後者を選びたがる人がいる。それ自体はさして珍しい話ではないはずなのだが、片方の重さが桁外れなせいで、途端に奇妙な話に見えてくる。
亡くなった日のこと。1980年9月25日、ボーナムはジミー・ペイジの自宅にいた。バンドは久しぶりの北米ツアーに向けたリハーサルの最中だった。前日から大量に酒を飲み、酔って眠り込んだ彼は、翌日、部屋で亡くなっているのが見つかる。検死の結論は嘔吐物を喉に詰まらせたことによる窒息で、評決は「不慮の死」だった。元スレのタイトルは「急性アルコール中毒による死」と書いていたが、コメント欄では早い段階から「そこは違う」という訂正が何度も入っている。飲んだ量については、元スレで「ウォッカ40ショット分」という数字が繰り返し挙がっていた。ただ、この数字の出どころまでは元スレの範囲では確認できない。
「ホームシックだったから」で片づかない部分。元スレのコメント欄は、この見出しをそのまま受け取ることを拒否した。ボーナムは酔うと手がつけられない乱暴者で、ホテルの窓からテレビを投げ落とす、人の持ち物を壊す、といった逸話が山ほどある。1977年にはカリフォルニア州オークランドの公演で、ピーター・グラントやツアースタッフとともに、会場のスタッフに集団で暴行を加える事件を起こしている。仲介に入った興行主のビル・グレアムは、以降このバンドと二度と仕事をしなかった。そして、酔った上での振る舞いの中には、実際に被害を受けた人がいる、いまなら到底かばいようのない類のものも含まれている。「彼はホームシックだったから」は、そのどれに対しても答えになっていない。
それでも、因果の線は簡単には引けない。この話には「引き留めたマネージャーが悪い」という分かりやすい落としどころがある。ただ、ブラックモアが語っているのは「グラントが高価な贈り物でツアーを続けさせた」というところまでで、そこから「だから彼が死んだ」までは、証言のない空白が横たわっている。逆方向も同じだ。「家にいるときの荒れた逸話も多いのだから、ホームシックは関係ない」という指摘も元スレには複数あったが、それもまた、彼が何から逃げていたのかを説明してはくれない。分かっているのは、帰りたいと泣いた人がいて、引き留める仕組みがあって、そのあいだで酒の量が増え続けた、という並びだけである。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
元記事から。リッチー・ブラックモアがボーナムと親しかったのは有名な話で、本人の回想はこうなっている。「ジョン・ボーナムはしょっちゅうバンドにこう言っていた。『俺は抜ける。もうアメリカには行けない。あれは無理だ』。するとピーター・グラントが『ガレージに来い、見せたいものがある』と言う。『何を?』ってついていくと、そこにボンゾがちょうど欲しがっていた新車のランボルギーニが置いてあるんだ。そうやって彼は戻ってきた」。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
気の毒としか言いようがない。紙の上でどれだけ完璧に見える人生でも、その人はその人の戦いをしているという話で、しかもこの場合は誰も勝っていない。使われずに終わった幸福があるという感じがして、そこが一番きつい。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
「バーミンガムの小さなバンドでただ演奏していたかった」のくだりで想像してしまった。金曜の夜、適当なパブのオープンマイクに顔を出したら、対バンのドラムがジョン・ボーナムなわけだろう。客が20人しかいない部屋で、床が揺れる。その世界線の常連客がうらやましい。
4. 海外の名無しさん
歳を取るほど思うのだが、名声と桁外れの金は、たいていの人間を不幸にするのではないか。手に入れた側の人たちを見ていると、周囲が想像もできない額と力を持ちながら、まったく楽しそうに見えない例が多すぎる。足りないから不幸なのだと思っていた頃のほうが、まだ話が単純だった。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
昔の知り合いに、いま名前を出せば誰でも知っているバンドの創設メンバーがいる。曲作りの中心にいた人だ。でも不安症とホームシックがひどくて、ツアーと「常に良い演奏をしろ」という圧力に耐えられなくなって辞めた。いまは実家に住んで普通の仕事をしている。会うと機嫌がいい。それが答えなんだと思う。
6. 海外の名無しさん
ボーナムが偉大なドラマーで、ツアーを嫌っていて、家族を大事にしていたのは全部その通り。ただ、酔ったときの彼が本物の怪物だったのも同じくらい本当だ。彼とピーター・グラントは、思いつく限りの罪状で何度か豚箱に入っていてもおかしくなかった。これは大げさに言っているつもりだが、あまり大げさになっていない気もする。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
自分にとっては史上最高のドラマーで、そこは今も変わらない。でもこの見出しの立て方はさすがにひどい。彼は酒癖の悪い乱暴者で、ホテルの窓からテレビを投げ落としていた。下に人がいる状態でだ。それを「でもホームシックだったから」で終わらせるのは無理がある。音楽は好きだ。あの連続でのアルバムの出来は異常だと思う。だからこそ、周りの部分まで白く塗り直すのはやめてほしい。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
そこは同意する。ホームシックがアルコール依存を作るわけではない。作るのは依存そのものだ。ボーナムにしても、同時代の何人かにしても、次元の違う量を飲んでいた人たちで、それに付随するものも全部込みで語られるべきだと思う。理由づけが先に来ると、量の異常さが見えなくなる。
9. 海外の名無しさん
興行主のビル・グレアムが自伝で書いていた話がずっと引っかかっている。1977年、ツアーに同行していたボーナムの息子が、会場のドアの掲示に落書きをして、スタッフに軽くたしなめられた。それだけの話だ。そのあとグラントとボーナムはそのスタッフを探し出し、トレーラーまで押しかけて袋叩きにして、それでも足りないと言ってさらに追い回した。グレアムは警備を総動員して止めるしかなかった。読んだときは本当に言葉が出なかった。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
マネージャーとツアーマネージャーの席に、そのまま裏社会の人が座っているようなものだ。あの時代のロックの現場は無法地帯だったとよく言われるけれど、無法にも程度がある。ちなみにグレアムはこの一件のあと、このバンドと二度と仕事をしていない。あの立場の人がそこまでやるというのは、相当のことだったんだと思う。
11. 海外の名無しさん
細かいようだけど、ジョン・ボーナムは急性アルコール中毒で死んだわけではない。意識を失った状態で吐いて、それを喉に詰まらせて窒息した。検死の評決も「不慮の死」だ。この二つは死に方としてまったく別の話なので、見出しに書くならそこは正確であってほしい。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
どちらであっても大量の酒が引き金なのは変わらないから、そこを直しても救いにはならないと思う。ただ、記録として何が起きたかを正しく残すことには意味がある。実際この死に方は、酒に強い弱いとほとんど関係なく起きるやつで、いまも毎年どこかで同じことが起きているわけだから。
13. 海外の名無しさん
昔のローリング・ストーン誌に彼についての長い記事があって、大学時代に友人たちと読んだ。こちらもこちらでかなり飲んでいた時期だったのだが、それでも読み終えたあとの感想は「これは無理だ」の一言だった。亡くなった日も、朝からウォッカを何杯も空けて、そのままスタジオへ向かう途中でさらに飲んでいる。まともに動けなくなったので寝かされて、そのまま眠ったまま吐いて亡くなった。誰も様子を見に行かなかった。
14. 海外の名無しさん
明るい話も一つ書いておくと、彼の息子はその後、父親の席に座ってツェッペリンの曲を叩いている。2007年のロンドンでの再結成公演がまさにそれで、映像を見ると、あの重さがちゃんと受け継がれているのが分かる。生前の父親を知る人たちが、その席を彼に任せたという事実だけでも、けっこうなことだと思う。
15. 海外の名無しさん
彼が酒で気を紛らわせていた可能性は否定しないけれど、単純にアルコール依存だったという線も同じくらいありそうに思う。この見出しの書き方だと、依存はホームシックの症状だった、という因果になってしまう。そこまで言い切れる材料があるのかどうかは、正直よく分からない。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
あの時代は、そういうことを言葉にする場所がそもそもなかった。不安だとか眠れないだとかを人に話す代わりに、酒で上から蓋をする。そして酒は不安を悪化させるので、蓋が重くなり続ける。因果がどっち向きなのかを本人が整理できていた可能性は、たぶんかなり低い。
17. 海外の名無しさん
症状の並びだけ見ると、かなり強い不安障害があったように読める。人前に立つのが仕事なのに人前が苦しい、というのは想像するだけで詰んでいる。しかも当時は「そういう人」で片づけられて終わりだ。診断名がなかった時代の人の苦しさは、後から振り返るとこういう形でしか見えてこない。
18. 海外の名無しさん
これは本当に他人事ではない。自分もどれだけ最高の旅行でも、7日か8日を過ぎたあたりから帰りたくてたまらなくなる。出張が多かった時期は毎回みじめだった。それを何か月も、しかも同じ顔ぶれで移動し続けるのは想像がつかない。若くして死んだロックスターはみんな遊びすぎたのだと思っていたので、この話は読んでいてこたえる。
19. 海外の名無しさん
同じ理由でバンドを離れた人は他にもいる。ラモーンズのトミーが4枚のアルバムで抜けたのも、ニューヨークに留まってレコードを作りたかったからだった。イーグルスのランディ・マイズナーも、人気が頂点にあるときに、ツアー生活が私生活を壊しているという理由で降りている。辞めるという選択肢は、たしかにそこにあった。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
その二人と彼の差は、周りに「引き留める仕組み」があったかどうかだったのかもしれない。抜けると言うたびにガレージに新車が用意される環境で、辞めるという判断を維持するのはかなり難しいと思う。しかも当時のこのバンドは動く金額が桁違いで、彼一人の気分で止めていいものではなくなっていた。
21. 海外の名無しさん
正直に言うと、ランボルギーニの件は同情しづらい。その時点でもうランボルギーニを10台買える金は持っていたはずで、「家で妻と過ごしたいから降りる」と言えばよかった。マネージャーが物をくれたから続けざるを得なかった、という筋書きは、ちょっと都合が良すぎる気がする。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
言いたいことは分かるし、責任を全部マネージャーに預けるのはたしかにおかしい。ただ、10年一緒にやってきた相手に「降りる」と告げるのは、金があるかどうかとはあまり関係のない難しさだと思う。しかも本人は毎回言ってはいたわけで、言えなかったのではなく、言っても通らなかったという順番なんだろう。
まとめ
アメリカ・ツアーのたびに「抜ける、もう行けない」と言い出し、そのたびにガレージの新車で引き留められ、何度か家に帰りたくて泣いていた——レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムについて、友人だったリッチー・ブラックモアはそう語っている。彼は酒に頼るようになり、1980年、32歳で亡くなった。ただし元スレのコメント欄は、この話を素直な悲劇として受け取らなかった。死因はアルコール中毒ではなく嘔吐物による窒息だという訂正が入り、酔った彼が周囲にしてきたことを忘れるなという声が並び、「ホームシックが依存症を作るわけではない」という指摘も出た。一方で、名声と金が人を幸せにするとは限らないという話や、同じ理由でバンドを降りた人たちの例も語られている。帰りたいと泣いた人がいて、引き留める仕組みがあって、そのあいだで酒の量が増え続けた。分かっているのはその並びだけで、どこからどこへ線を引くのかについては、40年以上経ったコメント欄でもまだ決着がついていない。

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