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「教皇選びが遅すぎる」と怒りの手紙を送った隠者、当てつけで本人が教皇にされてしまう…全力で山へ逃げた老修道士の末路とは?

「教皇選びが遅すぎる」と怒りの手紙を送った隠者、当てつけで本人が教皇にされてしまう…全力で山へ逃げた老修道士の末路とは? 人物・偉人

「教皇選びが遅すぎる。早く選ばないと神の裁きが下るぞ」——2年以上も後継者を決められずにいた教会へ、山奥の隠者が怒りの手紙を送りつけた。困り果てていた枢機卿たちが出した答えは、まさかの「では、あなたが教皇に」。1294年に実際に起きたこの珍事と、必死に逃げようとした老隠者ケレスティヌス5世のその後が、海外掲示板で大いに盛り上がっていた。

※注:コンクラーベ=ローマ教皇を選ぶ選挙のこと。枢機卿(すうききょう。教皇に次ぐ教会の最高幹部)だけが参加し、新教皇が決まるまで外部から隔離されて投票を繰り返す。語源はラテン語の「鍵のかかった部屋」。

今日の知ってた?

📜 1294年、教皇の空位が2年以上続いたことに怒った隠修士ピエトロ(約80歳)が枢機卿団に抗議の手紙を送ると、枢機卿たちは彼本人を教皇に選出してしまった。嫌がって逃げようとした彼はケレスティヌス5世として即位するも、在位わずか約5か月。「教皇は自らの意思で辞任できる」という規則を自分で定め、自らその第1号として史上初の正式な辞任を果たした。

背景:2年以上「教皇不在」だった中世ヨーロッパ

1292年、教皇ニコラウス4世が死去すると、後継選びは泥沼にはまった。当時の枢機卿はわずか十数人。そのほとんどがローマの名門コロンナ家とオルシーニ家のどちらかの息がかかっており、票は真っ二つ。どちらの陣営も譲らないまま、教皇の空位はなんと2年3か月に及んだ。

そこに一通の手紙が届く。差出人は、イタリア中部アブルッツォ地方のモッローネ山で祈りと断食の生活を送っていた高名な隠修士、ピエトロ・ダ・モッローネ。内容は「速やかに教皇を選ばなければ、神の裁きが下るであろう」という痛烈な警告だった。行き詰まっていた枢機卿たちは、これを聞いて驚きの解決策をひねり出す。「聖人と名高く、どの家門ともつながりのないこの老人こそ、全員が納得できる教皇では?」——1294年7月、ピエトロは満場一致で教皇に選出された。御年およそ80歳。本人の意向は、確認されていなかった。

もう少し詳しく

逃げる新教皇。知らせを受けたピエトロは仰天し、山から逃げ出そうとしたと伝えられる。しかし説得(というよりほぼ連行)の末に受諾させられ、1294年8月、ラクイラの街で戴冠してケレスティヌス5世となった。だが政治経験ゼロの隠者に教会の頂点が務まるはずもなく、ナポリ王カルロ2世の言いなりになり、同じ役職をうっかり複数人に与えてしまうなど、統治は混乱を極めた。本人も宮廷生活が苦痛でたまらず、宮殿の中に山の庵を模した小部屋を作って引きこもったという。

そして史上初の「正式な辞任」へ。即位から約5か月後の1294年12月10日、彼は「教皇は自らの意思で辞任できる」と正式に定める教令を発布。その3日後の12月13日、自らその規則の第1号として退位した。理由は「体力の衰え、学識の不足、そしてかつての穏やかな生活への想い」。ところが山へ帰る夢は叶わなかった。後継教皇のボニファティウス8世が、政敵に前教皇を担がれること(対立教皇の擁立)を恐れ、彼をフモーネ城に幽閉したのだ。ケレスティヌスは1296年、幽閉先で81歳の生涯を閉じた。1313年には聖人に列せられている。

719年後に効いてきたルール変更。詩人ダンテは『神曲』地獄篇で、彼を「臆病ゆえに大いなる拒否をなした者」として地獄の入り口に置いたとされる。辞任のせいでダンテの政敵ボニファティウス8世が教皇になったからだ。だが歴史の評価は変わるもの。2013年、ベネディクト16世が約600年ぶりに存命のまま教皇を辞任した際、その法的根拠となったのがケレスティヌスの定めたこのルールだった。ベネディクト16世は辞任の4年前、地震で被災したラクイラを訪れ、ケレスティヌス5世の棺に自らのパリウム(教皇の肩衣)をそっと置いている。ちなみに、枢機卿を鍵のかかった部屋に閉じ込めて選挙の長期化を防ぐ「コンクラーベ」の規則を復活させたのも彼。自分のような犠牲者を二度と出さないため——だったのかもしれない。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
「バチカンから白い煙が確認されました。新教皇はですね……えー、どうやら”森に住んでいる無関係のおじいさん”に決まった模様です。半ば当てつけでの選出と見られます」という実況が脳内で再生されて笑ってる。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
そして続報です、早くも辞任しました。まあ在位5か月だから、最近のどこかの国の首相たちよりは長く保った計算になるが。

3. 海外の名無しさん
究極の「言い出しっぺが損をする」で笑う。会議で「誰も議事録取ってなくないですか?」と言った人が、その場で議事録係に任命されるやつ。あれの人類史上最大スケール版だろこれ。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
「文句があるならお前がやれ」方式で、俺は人生で2回昇進した。指摘するときは、絶対に自分へ降ってこない安全圏からやるべしという教訓だよ。

5. 海外の名無しさん
似た経験がある。職場で新任マネージャーに「ここ、安全管理がずさんですよ」と指摘したら、「安全管理者は誰だ?」「1年以上不在です」「よし、今日から君だ」。抜け出すのに1年かかったよ。俺の脱出戦略は、社内規定を隅から隅まで調べて、どんな小さな違反にも是正要求を出し続けること。是正には金がかかるからね。会社は経費削減のために俺を交代させてくれた。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
脱出の仕方が有能すぎる。というか、それ本来の仕事を完璧にやっただけなのに外されるの、負けたのは会社のほうでは。

7. 海外の名無しさん
「リーダーには文句を言いたい。でもリーダーの仕事とストレスを引き受けるのは絶対に嫌だ」……あまりにも正直で何も言えない。人類の9割はこれだと思う。

8. 海外の名無しさん
補足すると、彼は「暗い部屋に引きこもるタイプの隠者」じゃなくて「山で自由に生きるタイプの隠者」ね。モッローネ山に庵を結んで、祈って、断食して、静かに暮らしてた人。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
なんだ、部屋から出られない我々とは別物じゃないか。むしろ生き方としては上位互換だった。

10. 海外の名無しさん
辞任のくだりが完全にコントなんだよ。「辞任する」「教皇の辞任は規則で認められておりません」「その規則を作るのは誰かね?」「……教皇です」「では『教皇は辞任できる』という規則を作る。さて、辞任する」。

11. 海外の名無しさん
少し補足。厳密には彼より前にも位を退いた教皇は存在するんだけど、「教皇は自らの意思で辞任できる」と正式に法で定めたうえで辞めたのは彼が史上初。ちなみに選ばれたときは山で発見されて、半ば引きずられるようにして麓へ連れて行かれたらしい。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
しかも辞任後の扱いがひどくてね。次の教皇に警戒されてフモーネ城という城に幽閉されて、約10か月後にそこで亡くなった。81歳だった。ただ山に帰りたかっただけなのに。

13. 海外の名無しさん
その次の教皇のボニファティウス8世とかいうやつ、控えめに言って性格が悪すぎないか。80過ぎのおじいさんくらい、山に帰してやれよ。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
中世の権力の世界では、殺されなかっただけ慈悲深いほうなんだよな。「元教皇」という肩書きは、本人にその気がなくても、反対派に担がれて対立教皇に仕立てられかねない。だから手の届く場所で監視するしかない。ひどい話だが、あの時代の論理としては一応筋が通ってる。

15. 海外の名無しさん
そもそも2年以上も教皇が決まらなかった原因は、ローマの名門2家系の派閥争いで枢機卿の票が真っ二つだったから。で、彼が選ばれた決め手は「どの家系ともコネが一切ない」こと。政治的にまっさらな人だから、全員が妥協できた。つまり最初から神輿として選ばれてるんだよ。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
おまけに彼の死後、対立していた家系側が意趣返しとして彼の列聖を推し進めたという続きまである。死んでからも政争のカードにされてて、気の毒を通り越してもう笑うしかない。

17. 海外の名無しさん
誤解されがちだけど、この人はただの世捨て人じゃないぞ。600人規模の修道会を自分で立ち上げて率いた大物で、時の教皇に直談判して修道会の公認を勝ち取ったこともある。手紙も「激怒」というより「早く選ばないと神の裁きが下りますぞ」という警告に近かったらしい。

18. 海外の名無しさん
一番好きなエピソードは、辞任したあと、連行される途中でもう一度山へ逃げようとしたこと。ガチで逃げた。この人、最初から最後まで一貫して「帰りたい」しか言ってないんだよな。

19. 海外の名無しさん
その後、1313年に列聖されて聖人になってる。生前に11の奇跡を起こしたと認定されたそうだ。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
へえ、11の奇跡ねえ……。ふーん、あったんだ、奇跡(疑いの目)。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
細かく言うと、申請されたのは18件で、列聖審査で認められたのが11件ね。死後も「お墓参りをしたら病気が治った」という報告が相次いだらしい。まあ中世に病気が治ったら、それはもう全部奇跡でいいと思う。

22. 海外の名無しさん
ダンテは『神曲』の地獄篇で、彼のことを「臆病ゆえに大いなる拒否をなした者」として地獄の入り口に置いたと言われてる。ダンテからすれば、彼が辞任したせいで政敵のボニファティウス8世が教皇になり、自分はフィレンツェを追放されたから。とばっちりで地獄に入れられる元教皇、あんまりだろ。

23. 海外の名無しさん
「権力を欲しがらない者こそ権力にふさわしい」とはよく言うけど、この話の教訓は「本当に欲しがっていない人は全力で逃げるし、捕まえて座らせても誰も幸せにならない」だよな。ふさわしさと本人の幸せは、まったく別の問題なんだ。

24. 海外の名無しさん
そして719年後の2013年、ベネディクト16世が約600年ぶりに存命のまま教皇を辞任したとき、その法的な根拠になったのがこのルール。山に帰りたい一心だったおじいさんが、現代のバチカンをちゃんと助けてるんだから、歴史というのは面白い。

まとめ

抗議の手紙一通で教皇にされ、逃げ、辞めるためのルールを自分で作って辞め、最後は幽閉されて生涯を終えたケレスティヌス5世。コメント欄は「究極の言い出しっぺ負け」という同情と笑いに包まれつつ、「文句は自分に降ってこない場所から言え」という妙に実用的な教訓に落ち着いていた。それでも彼の残したルールが719年後にベネディクト16世を救ったのだから、歴史のオチとしては上出来ではないだろうか。

元ソース: 今日の豆知識:「教皇選びが遅い」と怒りの手紙を送った隠者の修道士、教皇にされてしまう——唯一の功績は「教皇辞任ルール」の制定で、自ら史上初の辞任教皇に

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