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「チカイ・コッランが来て、見た」2000年前、南インドの旅行者がエジプトの墓に8回も残した落書きの話

「チカイ・コッランが来て、見た」2000年前、南インドの旅行者がエジプトの墓に8回も残した落書きの話 歴史

旅先の壁や柱に「○○参上」と落書きしたくなる衝動——あれは現代人の悪い癖ではなく、どうやら人類が2000年前から変わらず持っている習性らしい。今からおよそ2000年前、はるばる南インドからエジプトを訪れた一人の旅行者が、王家の谷の墓に「自分はここに来た」という落書きを、なんと8回も残していた。名前は「チカイ・コッラン」。観光地で名前を刻みたくなる気持ちは、海も時代も越えて万国共通だったのだ。

※注:王家の谷は、古代エジプトのファラオたちの墓が集まるナイル川西岸の遺跡群。チカイ・コッランが訪れた時点で、その多くはすでに1000年以上昔の「古代遺跡」だった。

今日の知ってた?

📏 約2000年前、南インド(タミル)出身の旅行者「チカイ・コッラン」が、エジプトの王家の谷にある5つの墓に、「チカイ・コッランが来て、見た」という趣旨の落書きを計8回、タミル語(タミル・ブラーフミー文字)で残していた。古代版「ここに来たぞ記念」の落書きである。

背景:古代のインドとエジプトはつながっていた

「2000年前に南インドの人がエジプトに?」と驚くかもしれないが、当時のインド洋には驚くほど発達した海上交易ネットワークが存在した。南インドは強力な商人国家が支配する豊かな地域で、商人たちは紅海を経由してエジプトやローマ世界と日常的に行き来していた。胡椒をはじめとする香辛料、宝石、布などが船で運ばれ、ローマ側の記録にも「インドとの交易で大量の金が流出している」と嘆く文章が残っているほどだ。チカイ・コッランも、そうした交易ルートに乗ってエジプトへやって来た旅行者、あるいは商人の一人だったと考えられている。

もう少し詳しく

8回のうち1つは、墓の入り口の4〜6メートル上に刻まれていた。研究者を悩ませたのは、その落書きの執念深さだ。チカイ・コッランは同じ名前を5つの墓に8回も残しているのだが、その中には墓の正面入り口から4〜6メートルもの高さに刻まれたものもある。わざわざ手の届かない場所まで登って名前を残したわけで、ある古代史研究者は彼のこの習性を「正直に言って、変わっている」とコメントしている。

「来て、見た」というシンプルさが逆にすごい。内容は壮大な物語でも祈りでもなく、ただ「チカイ・コッランが来て、見た」。カエサルの名言をもじったわけではないが、はるか異国の地で自分の存在を石に刻みたいという欲求は、現代人が観光地のベンチや木に名前を彫る心理とまったく同じだ。当時はただの落書き・器物損壊だったものが、2000年を経た今では「古代インド・エジプト交流史を語る貴重な一次資料」に化けてしまったのが面白い。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
十分に時間が経てば、どんな落書きも歴史的遺物になるんだよな。これはもう真理だと思う。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
2000年も待たなくていいぞ。アメリカ西部には開拓時代(1800年代)に幌馬車隊が名前を彫った崖があって、今ではちゃんとした保護指定遺跡になってる。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
そもそも崖に名前を彫るのは「落書き」なのか?それともちゃんとした街道沿いの慣習だったのか、どっちなんだろう。

4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
考古学的には「落書き(グラフィート)」で正解らしいよ。壁や崖みたいな大きな面に、公式じゃない形で残された文字や絵はぜんぶこの分類に入る。

5. 海外の名無しさん
当時はちょっと品のない無意味な器物損壊と思われてただろうに、今では古代インド・エジプト関係を知る唯一無二の手がかりになってるのが好き。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
そもそもエジプトが古すぎて、2000年前の時点で「古代エジプト観光ツアー」が成立してたっていうのが笑える。

7. 海外の名無しさん
最初「2000年前」の部分を読み飛ばして、「なんて迷惑な奴だ」って思いながら、でも南インドっぽい名前じゃないなと首をひねってた。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
2000年前だろうと、迷惑な奴は迷惑な奴だぞ。

9. 海外の名無しさん
記事によると、彼を研究した学者の一人が、何度も、しかも手の届きにくい場所に落書きする彼の習性を「正直、変わってる」と評していたらしい。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
出たよチカイ・コッランの仕業…って、2000年越しに学者にツッコまれてるの最高すぎる。

11. 海外の名無しさん
すごいのは、この落書きの1つが墓の入り口の4〜6メートル上に刻まれてたってことだよ。それ、めちゃくちゃ努力が必要じゃないか!

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
「これは絶対みんな驚くぞ」って思いながら登ってたんだろうな、チカイは。情熱の方向がおかしい。

13. 海外の名無しさん
ピラミッドが造られたのは約4500〜4700年前。つまりチカイ・コッランから見たピラミッドは、僕らから見たチカイの落書きとほぼ同じくらい昔のものだったわけだ。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
有名な言い回しだと、クレオパトラはピラミッド建設よりも現代に近い時代を生きてた、ってやつだね。エジプトの時間スケールはバグってる。

15. 海外の名無しさん
このランダムな旅行者は、ギザの大ピラミッド建設よりも僕らの時代のほうに時間的に近い場所に生きてた。それでいて彼が訪れた王家の谷の墓も、当時すでに1000年以上前のものばかりだったんだ。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
古代エジプト人にとっての古代エジプトが、すでに「古代」だったってことだよね。入れ子構造すぎて頭がくらくらする。

17. 海外の名無しさん
古代エジプト人が自分たちの古い歴史を、僕らが古代ギリシャやローマを研究するみたいに学んでたっていうのが地味にすごい。

18. 海外の名無しさん
似た話だと、10世紀ごろのある男が青銅器時代の岩絵を引っかいて、その上にルーン文字で「エリックここに来た」って書いた遺跡があるんだ。僕が昔ガイドをしてた現場で、それが一番の目玉だった。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
落書きを消して自分の落書きを上書きするの、2000年経っても人類のやることは本当に変わらないな…。

20. 海外の名無しさん
当時のインド洋は、ザンジバルやスワヒリ海岸からインドネシアまで、ものすごく発達した交易網でつながってた。南インドは強力な商人国家の領地だったから、紅海経由でエジプトを旅する人がいても全然不思議じゃないんだよ。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
ほとんどの時代で、世界の中心はインドと中国だったからね。古代世界は僕らが思ってるよりずっと密につながってた。

22. 海外の名無しさん
「いつか誰かがこれを見つけて笑うんだろうな」——チカイ・コッラン、たぶんそんな気持ち。

23. 海外の名無しさん
そもそも「ここに来た(I was here)」って、人間のあらゆる創作行為の根っこにある動機なんじゃないか?絵も音楽も建築も、結局は自分が存在した証を残したいだけなのかもしれない。

24. 海外の名無しさん
当時は間違いなく品のない無意味な落書きだったよ。そこから学べたのは嬉しいけど、それでも落書きは落書き。学んだことの一つが「チカイ・コッランは相当な迷惑野郎だった」ってことなのが笑える。

25. 海外の名無しさん
2000年後、誰かが今の僕らのSNSの書き込みを発掘して「貴重な一次資料だ」って真剣に研究してるかもしれないと思うと、ちょっと恥ずかしくなってきた。

まとめ

約2000年前、南インドの旅行者チカイ・コッランが王家の谷の墓に8回も「ここに来た」と落書きした——当時はただの器物損壊が、今では古代インド・エジプト交流を伝える貴重な史料になっている。コメント欄は「人類は2000年経っても落書きの習性が変わらない」という気づきと、「エジプトが古すぎて古代の時点で観光地だった」という時間スケールの眩暈で盛り上がった。観光地の「○○参上」は、どうやら万国共通・古今東西の人類の本能らしい。

元ソース: 豆知識:約2000年前、南インドの旅行者がエジプト・王家の谷の5つの墓に「チカイ・コッラン参上」と8回落書きしていた

コメント

  1. Reddit名無しさん より:

    これだからタミル人は