その年の新茶を、誰よりも早くロンドンへ——。19世紀中ごろ、中国からイギリスへ茶を運ぶ快速帆船たちは、毎年のようにロンドンへの一番乗りを競い合っていた。なかでも有名な1866年のレースでは、中国を同じ潮で出た船が99日かけて地球半周以上の海を走り抜け、ロンドンに着いた1位と2位の差は、わずか28分だった。
※注:ここでいう快速帆船は「クリッパー」と呼ばれる船のこと。細長い船体にたくさんの帆を張った、スピード重視の帆船で、茶を運ぶものは「ティー・クリッパー」と呼ばれた。
今日の知ってた?
🍵 19世紀中ごろ、中国からイギリスへ茶を運ぶ快速帆船ティー・クリッパーは、その季節の新茶をロンドンに一番乗りで届けることを競って、毎年非公式のレースを繰り広げていた。1866年には、中国の港町福州を同じ潮で出た3隻が99日後にそろってロンドンに到着。1位のテーピン号と2位のエアリアル号の差は、わずか28分だった。
背景:なぜ「一番乗り」にこだわったのか
19世紀のイギリスでは、茶はすでに暮らしに欠かせない飲み物になっていて、その茶の多くは中国から帆船で運ばれていた。中国で摘まれたその年の新茶を買い付けた商人(荷受人)たちは、誰よりも早くロンドンの市場に出したがった。そこで、ロンドンに最初に着いた船には、通常の運賃に上乗せして「割増金(プレミアム)」を払うようになった。この取り決めは、積み荷の運送契約の書類である船荷証券に書き込まれていた。
速さの価値は、その1回の割増金だけではなかった。足の速い船はふだんからほかの船より高い運賃を取れたので、何日で着いたかという実績が、次の積み荷を引き受けるときの交渉材料になった。レースは新聞でも大きく報じられ、世間の注目を集めたという。とはいえ、主催者がいるわけでも、正式なルールがあるわけでもない。あくまで商売の上での競争で、だからこそ「非公式のレース」と呼ばれている。
もう少し詳しく
1866年、イギリス海峡での並走。この年、中国南東部の港町・福州を5月末に出た船のうち、エアリアル号、テーピン号、セリカ号の3隻は同じ潮に乗って出港した。インド洋を越え、アフリカ大陸の南端を回る1万4000マイル(2万2000キロ)以上の航海の末、9月5日にイギリス海峡へ入ったとき、エアリアル号の船長は夜明けに見えた船影を、すぐにライバルのテーピン号だと見抜いたという。2隻は強い西南西の風を受け、14ノット(時速約26キロ)で並ぶように海峡を駆け上がった。
勝負を分けたのは、曳き船と潮。翌6日、テムズ川へ向かう段階で、より力の強い曳き船(タグボート)に引かれたテーピン号が前に出る。テーピン号はテムズ川沿いの町グレーブゼンドにエアリアル号より55分ほど早く着いたが、ここで2隻とも潮が満ちるのを待たなければならなかった。そこから先は、目的のドックまでの距離が短いエアリアル号が有利で、午後9時には東インド・ドックの門の前に着いた。ところが、当時のロンドンのドックは水門で仕切られた船だまりで、潮が十分に満ちるまで門を開けられない。このときはまだ潮位が低く、エアリアル号は門の前で足止めされた。一方、船体が水に沈む深さ(喫水)が浅かったテーピン号は、ロンドン・ドックの門を先に通り抜けることができた。テーピン号がドックに入ったのは午後9時47分、エアリアル号は午後10時15分。その差が28分だった。3位のセリカ号も、エアリアル号の1時間15分後に別のドックへ入っている。
割増金は、最初から分け合う約束だった。この年の割増金は、積み荷1トンにつき10シリング(当時のイギリスの通貨で、1ポンドの半分)。ただ、茶の値段が下がっていたため、荷受人が支払いを渋るおそれがあった。そこで2隻の間では、先にドックに入った側が割増金を受け取り、もう一方は結果に一切異を唱えない代わりに、割増金を2隻で分け合うという取り決めができていた。割増金が船荷証券に書き込まれたのは、この1866年が最後になった。
スエズ運河が開き、主役は蒸気船へ。1869年にスエズ運河が開通すると、蒸気船はアフリカ大陸の南端を回らずに中国と行き来できるようになり、航路が大幅に短くなった。風まかせの帆船が茶の輸送の主役でいられる時代は、ここから急速に終わりへ向かっていく。
カティーサーク号は、スエズ運河と同じ年に生まれた。皮肉なことに、いまいちばん有名なティー・クリッパーであるカティーサーク号が進水したのは、スエズ運河が開通したのと同じ1869年。1872年には、上海を同じ日に出たライバルのサーモピレー号とロンドンまでを競ったが、途中の嵐で舵を失ってしまう。乗組員は6日がかりで代わりの舵をこしらえて航海を続けたものの、到着はサーモピレー号の1週間後だった。茶の輸送から退いたあとは、オーストラリアから羊毛を運ぶ航路で快速ぶりを発揮した。現在はロンドン南東部グリニッジの乾ドックに保存され、博物館として公開されている。スコッチウイスキーの「カティサーク」も、この船の名前からとられたものだ。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
1万4000マイル以上、3か月あまりも海の上を走り続けて、最後の決着が28分差。どういう勝負なんだよ(笑)
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
みんな同じ海で、同じ風を受けて走ってるんだもんな。船の性能と船乗りの腕が互角なら、差がつかないのも当然か。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
ただ、後ろを走る側にも有利な点はあるんだよ。前の船がどんな風をつかんでるかを見て判断できるし、風向きによっては相手の風上に回り込んで、風をさえぎって奪うこともできる。
4. 海外の名無しさん(>>3への返信)
帆船時代の海戦でいう「風上を取った方が有利」ってやつだな。映画『マスター・アンド・コマンダー』の原作シリーズを最近読んだばかりだから、やっと意味がわかってちょっと嬉しい。
5. 海外の名無しさん(>>3への返信)
いや、外洋でそれは無理だと思う。相手の風をさえぎれるほど近づいてたら、それはもう衝突寸前だよ。長い航海のほとんどは、お互い何マイルも離れてて、姿も見えなかったはず。
6. 海外の名無しさん(>>3への返信)
後ろの船ほど有利って、レースゲームの「追い上げ補正」じゃん。運営は早くアップデートで直してくれ。
7. 海外の名無しさん
恥ずかしい話、最初は「28分」を所要時間だと思って、1万4000マイルを28分なら時速3万マイル、音速の40倍近いぞ……って本気で計算してた。1位と2位の差のことね。はい。
8. 海外の名無しさん
28分差になった理由を調べたら、最後は風じゃなくて潮待ちだったらしい。テムズ川で潮が満ちるのを待って、ドックの門をくぐれた順で決着。3か月走って、ゴールは潮の高さしだいって、なんとも言えない幕切れだな。
9. 海外の名無しさん
一番乗りした船の茶がいちばん高値で売れたんだろうし、そりゃ船長も船乗りも必死になるよな。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
元ネタの記事を読むと、ほかの船との差は数分とか数時間の世界なんだよ。値段の差というより、海運会社の宣伝の意味が大きかったんじゃないかな。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
わかる。次の船が1週間後ならともかく、荷下ろししてる横で次の船が入ってくるんだもん。30分待てば同じ新茶が手に入るのに、わざわざ高いお金を出す人はいないでしょ。
12. 海外の名無しさん(>>10への返信)
でも当時のロンドンでは、その年の最初の便で届いた新茶を手に入れること自体がステータスだったらしいよ。一番乗りの船と組んだ茶商が「今年いちばん乗りの新茶、入荷しました」って大々的に売り出してた光景が目に浮かぶ。
13. 海外の名無しさん
「非公式」とはいっても、遊びのレースじゃないからね。一番に着く船は、積み荷だけじゃなく遠い土地のニュースや商売の指示も運んでた。その情報を誰より早く手にできるかどうかに、商人や投資家の大金がかかってたんだよ。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
「非公式」っていうのは、どこかの団体が主催して公認したレースじゃない、ってだけの意味だよ。F1やオリンピックみたいに仕切る組織がなかったってこと。大事じゃなかったなんて誰も言ってない。
15. 海外の名無しさん
前から面白いと思ってるんだけど、船ってパワーを上げても、水の抵抗のせいでそのぶん速くはならないんだよね。だから今の貨物船は、帆船時代より安全で大きくて、少ない人数で動かせて、風がなくても同じ速さで走り続けられる。でも速さだけで言えば、実はクリッパーの「最高速」とそこまで変わらない。外洋には10〜15ノット(時速18〜28キロほど)で走ってる貨物船も多くて、これは快速クリッパーがいい風をつかんだときと同じくらい。原子力で動く軍艦ですら、その倍くらいしか出ないんだ。
16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
「船体速度」っていう考え方があって、船の速さの限界は、水に浸かってる部分の長さでほぼ決まるんだ。速い船が細長いのはそのため。帆船がこれを超えようとすると帆やロープにとんでもない負担がかかるから、強い風の日はわざと帆を縮めて走るんだよ。
17. 海外の名無しさん(>>15への返信)
いや、さすがに言い過ぎ。大きい船ほど速く走れるし、今の貨物船は燃料代を抑えるためにわざとゆっくり走ってるだけだよ。それに「倍くらいしか」って言うけど、倍は大差だろ。フルマラソンを3時間で走る人と6時間の人を、「だいたい同じ」とは言わない。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
カティーサーク号の最高速度は17ノットちょっと(時速30キロ強)だったらしいから、今の大型貨物船が本気を出せばなんとか上回れるくらいかな。帆船は燃料代がかからないから全力で走れるけど、貨物船は全開にすると燃料を食いすぎる。違いはそこだね。
19. 海外の名無しさん
ロンドン南東部に行くことがあったら、グリニッジで最後の大きなティーレースを走ったクリッパー、カティーサーク号の中を実際に歩けるよ。ただ、いかにもイギリスらしいことに、保存されてるのは負けた方なんだけどね。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
え、カティーサークはライバルのサーモピレー号との最後のレースで勝ったはずだよ。それに1872年のレースは、航海の途中で舵をなくして、海の上で新しい舵を作って走り続けたっていう話が最高に熱い。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
残念なお知らせですが、1872年はサーモピレー号が1週間差で勝ってます。カティーサーク号が前に出るのは、その10年ほどあと、オーストラリア航路での直接対決から。——サーモピレー号の船長だったロバート・ケンボールの、5代あとの子孫より(マジです)
22. 海外の名無しさん
もし大金持ちになったら、クリッパー船を建造して、ニューヨーク〜広州の帆船記録に挑むのが夢。条件をそろえるために、材料も技術も19世紀のものだけ。今の船乗りが当時のプロに敵うとは思わないけど、船大工の仕事は増えるし、チャリティーにもなる。もちろん航海中はずっと制服を着て、昔の船乗りっぽい口調でしゃべる。毎食グロッグ(ラム酒の水割り)付きで、船乗りの労働歌は全員参加。マスコットを猿にするかオウムにするか猫にするかだけは、まだ決めかねてる。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
今の外洋レースの船乗りの方が、知識はむしろずっと上だと思うよ。問題は航海士に衛星の気象データを使わせるかどうか。いい風といい出航のタイミングを読めるかで、勝負のほとんどが決まりそうだし。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
安全のための妥協ならする。遭難したときに居場所を知らせる発信機、今の救命ボート、ケガに備えた医療器具はありだ。とくに南米南端のホーン岬を回るならね。でも航海士に衛星を使わせるのはズルでしょ。そこまでやるなら、普通に飛行機で行けばいい。
25. 海外の名無しさん
アメリカのクリッパーも負けてないぞ。ゴールドラッシュのころは、ニューヨークからカリフォルニアへの航路で大活躍してた。1851年には、フライング・クラウド号がニューヨーク〜サンフランシスコ間で記録的な速さを出してる。しかもその航海士は、船長の奥さんのエレノア・クリーシー。当時としては異例中の異例だよ。
まとめ
19世紀中ごろ、中国からロンドンへ新茶を運んだ快速帆船は、一番乗りの割増金と評判をかけて毎年のように競い合い、1866年には99日の航海の末に28分差という決着まで生まれた。コメント欄では、数分差の一番乗りに本当に値打ちがあったのかという議論に、帆船と今の貨物船の速さ比べ、カティーサーク号の勝ち負けをめぐるライバル船長の子孫の登場まで、話題が次々と広がった。
元ソース: 19世紀中ごろ、中国からイギリスへ茶を運んだクリッパー船は、その季節の新茶をロンドンに一番乗りで届けようと、非公式のレースを競っていた

コメント
こういうのって、日本の江戸時代の大阪-江戸の間の船会社間でもあったな