玄関に鍵をかけない町がある。ただしそれは、治安がよいからでも、住民が全員顔見知りだからでもない。北緯78度、ノルウェー領スヴァールバル諸島の中心集落ロングイェールビーンでは、家も車も開けたままにしておくのが安全上の助言とされている。理由はひとつ、通りにホッキョクグマが現れたとき、誰でもすぐ逃げ込めるようにするためだ。ところが近年、この習慣がまったく別の理由で崩れかけている。
※注:スヴァールバル諸島は、ノルウェー本土と北極点のあいだに浮かぶ島々。中心集落のロングイェールビーンは北緯約78度にあり、人口1000人を超える定住地としては世界最北とされる。住民はおよそ2000〜3000人。
今日の知ってた?
📏 ノルウェー領スヴァールバル諸島では、家や車のドアに鍵をかけないことが安全上の助言とされている。ホッキョクグマが目抜き通りに迷い込んだとき、誰でもすぐ屋内や車内へ逃げ込めるようにするためだ。ところが大型クルーズ船が寄港する日には、住民のほうが鍵をかける。下船した観光客が、民俗村の展示か何かと勘違いして他人の家に上がり込み、中をのぞいていくことが珍しくないからである。
背景:クマのほうが多いと言われる町
スヴァールバル諸島は北極海に浮かぶノルウェー領の島々で、面積はおよそ北海道の7割ほど。人が住んでいるのはごく一部で、最大の集落ロングイェールビーンでも住民は2000人あまりしかいない。もともとは石炭採掘の町として20世紀の初めに開かれ、今は研究と観光がその役割を引き継いでいる。
この島に暮らすうえで避けて通れないのがホッキョクグマの存在だ。諸島とその周辺海域に生息する頭数は人間の住民数を上回るとしばしば言われる。集落の外に出るときは、クマに対する適切な護身手段——実際にはライフル——を携行することが求められているとされ、ガイド付きのツアーでも銃を持った人が同行するのが普通である。逆に建物の中への銃の持ち込みは認められておらず、店や宿の入口には銃を預けるための棚が置かれているという。
※注:日本の感覚では「銃を持って買い物に行く町」がまず想像しにくいが、現地では熊鈴やクマ撃退スプレーに相当する日常装備という位置づけに近い。実際に使われることはまれで、ほとんどの人は一度も撃たずに任期を終えて島を出ていく。
もう少し詳しく
鍵をかけないのは、性善説ではなく緊急避難のためだ。この習慣は「みんな親切だから盗まれない」という話ではない。クマが街中に降りてきたとき、通りにいる人間が数秒で身を隠せる場所を確保しておく、という発想である。玄関でも車でも、開いてさえいれば駆け込める。逆に言えば、通り沿いの家がすべて施錠されている状態は、住民にとって「逃げ場のない通り」を意味する。だからこそ、鍵をかける・かけないは個人の防犯意識の問題ではなく、町全体の安全設計の一部として語られてきた。
玄関で靴を脱ぐ町でもある。ロングイェールビーンには、建物に入るとき靴を脱ぐ習慣が残っている。宿でも学校でも、場所によっては博物館でも脱ぐ。石炭で汚れた作業靴を屋内に持ち込まないという採掘の町の名残とされる。日本人にはむしろ馴染みのある光景だが、これが意味するのは、開いている玄関の内側が「他人が土足で立ち入る場所」ではないということでもある。観光客がそこへ入り込んでしまう摩擦の大きさは、想像がつくだろう。
船が着くと、町の人口が数分で数倍になる。近年この島に押し寄せているのがクルーズ船の観光客だ。船体は大きく町は小さいので、乗客が下船すると数分で人口が二倍にも三倍にもなる。町の側に受け止める用意があるかどうかとは無関係に、いきなり人が湧く。そのなかの一部が、鍵のかかっていない扉を「入っていい場所」と解釈してしまう。住民が鍵をかけ始めたのは、クマより人間のほうが先に扉から入ってくるようになったからである。
実は誰でも住める島でもある。スヴァールバルには、他に例の少ない法的な地位がある。1920年にパリで署名されたスヴァールバル条約は、ノルウェーの主権を認めたうえで、締約国の国民に等しく諸島への立ち入りと経済活動の権利を認めた。締約国は40か国以上にのぼり、日本もその原署名国のひとつである。つまり日本人はビザなしでこの島に住み、働くことができる。ただし社会保障の網は本土と同じようには広がっておらず、自力で生計を立てられない人は退去を求められうるとされる。「誰でも住める」ことと「誰でも暮らせる」ことは別なのだ。
「生まれることも死ぬこともできない」は言いすぎ。この島の話題では必ず出てくる噂だが、実態はもう少し散文的である。ロングイェールビーンの墓地は、永久凍土のせいで遺体が分解されずに保存されてしまうため、20世紀半ばごろから新規の埋葬を受け入れていないとされる。また町の医療設備には限りがあるので、重い病気の人や出産の近い妊婦は本土の病院へ移されるのが通例だ。結果として出生も埋葬もほとんど起きない町になっているだけで、死ぬことが法律で禁じられているわけではない。
ちなみに世界種子貯蔵庫があるのも、この島だ。2008年に開設された「スヴァールバル世界種子貯蔵庫」は、世界各地の作物の種子を永久凍土の山中に保管する施設で、ロングイェールビーンの近くにある。ビザ不要の地位はこの施設のおかげだと説明されることがあるが、これは順序が逆で、条約のほうが80年以上先に存在している。安定した寒さと政治的な中立性という、島がもともと持っていた条件が種子貯蔵庫を呼び寄せた、と考えるほうが実態に近い。
そして、規制のほうも動き出している。ノルウェー政府は近年、諸島の自然保護区域について上陸できる場所を指定地点に限り、区域内に入る船の乗客数にも上限を設ける規制を施行したと報じられている。守る対象は第一に自然だが、結果として町に降りてくる人の波にも影響する。鍵をかけない習慣が残るかどうかは、こうしたルールの側と、訪れる人の振る舞いの側の両方にかかっている。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
現地の観光ガイドにこう書いてある。「巨大なクルーズ船がロングイェールビーンに着くと、多くの住民が玄関に鍵をかける。これは本来の習慣とは逆だ。通りにホッキョクグマが現れたときに誰でも逃げ込めるよう、家も車も開けておくのが安全上の助言だからである。それでも鍵をかけるのは、下船した乗客が民俗村の展示だとでも思うのか、平気で他人の家に入ってのぞいていくからだ。船は巨大で町は小さい。乗客が降りてくれば、数分で町の人口は二倍にも三倍にもなる。このページを読んでいるあなたはそんなことをしないだろうが、ここが誰かの生活の場でもあることは覚えておいてほしい」
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
昔、観光地で働いていたことがあるけど、クルーズ船の客はひと目で分かる。他の旅行者とは態度がまるで違うんだ。自分は客だという意識だけで動いていて、周りに人が住んでいることが視界に入っていない。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
うちは古い街並みが残っている地区にあるんだけど、夏から秋にかけて門を開けようとする人の数が本当にすごい。看板を出したし、見える位置に防犯カメラも増やした。それでも減らない。彼らの頭の中では、あそこは町ではなく展示なんだと思う。
4. 海外の名無しさん(>>2への返信)
一応言っておくと、それは記憶の偏りもあると思う。ひどい振る舞いをした人だけが強く残っていて、普通にしていた大多数の乗客のことは覚えていないだけかもしれない。クルーズという旅行の形そのものが環境に良くないのは同意するけど、客を全員ひとくくりにするのは乱暴じゃないか。
5. 海外の名無しさん(>>1への返信)
これはスヴァールバルだけの問題じゃない。ノルウェーには古い街並みの残る町がいくつもあって、どこも同じことが起きている。自分はロフォーテン諸島に住んでいるけど、庭にテントを張られたことがあるし、うちのゴミ箱に旅行者のゴミを捨てられ、生垣で用を足され、テラスの椅子を持っていかれた。人口3万人ほどの土地に年間100万人以上が来るとこうなる。
6. 海外の名無しさん
スヴァールバルに住んでるけど、この話は何度も見かける。全員を代表して言うことはできないが、少なくとも自分が玄関に鍵をかけないのは、鍵が凍って開かなくなるからだ。クマ対策というより物理の問題。車のほうは事情が違って、そもそも盗んだところで行き場がない。島の外に持ち出せない車をどこへ走らせるつもりなんだ。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
素朴な疑問なんだけど、クマは閉まっているドアを自分で開けられないの? アメリカのクマが玄関や車のドアを開けている映像なら、山ほど見たことがあるんだが。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
そこは自分も気になったけど、たぶん順番の問題なんだと思う。街中で鉢合わせしたときにまず必要なのは、数秒で身を隠せる場所があるかどうかで、扉が後から破られるかどうかはその次の話だ。目の前の通りに施錠された家しかない、という状況を作らないための習慣なんだろう。
9. 海外の名無しさん(>>6への返信)
住んでいたころ、一度うっかり他人の車を「盗んだ」ことがある。色も車種もまったく同じで、家に着いてから後部座席のチャイルドシートを見て気づいた。すぐ乗って戻して、元の場所に停め直して自分の車に乗り換えた。鍵をかけない文化はこういう事故も生む。
10. 海外の名無しさん
冷静に考えると、突然クマに追われた場合に必要なのは、いちばん足の遅い観光客より速く走ることだけだ。その時点で家に鍵がかかっているかどうかは関係なくなる。……というのは冗談なので真に受けないでほしい。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
考え方が逆だと思う。これはむしろ「ホッキョクグマ一頭 対 観光客百人」という長年の仮説を実地で検証できる、またとない機会だと捉えるべきではないか。
12. 海外の名無しさん(>>10への返信)
そうとも限らない。ホッキョクグマはかなり速く走るから、いちばん遅い人ではなくいちばんうまそうな人を選ぶ可能性がある。だから船でいちばん態度の悪い客にアザラシの脂を塗っておくといい。それで残り全員が助かる。
13. 海外の名無しさん
豆知識をひとつ。あそこは40か国以上の国民がビザなしで無期限に住んで働ける場所だ。ヨーロッパの国だけじゃなく、日本、オーストラリア、アメリカなども入っている。理由は世界種子貯蔵庫があって、種を提供した国の国民に権利が認められているから。ただしその国の国民は、あそこで生まれることも死ぬこともできない。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
後半はさすがに作り話が混ざってる。種子貯蔵庫は関係ない。根拠は1920年にパリで署名されたスヴァールバル条約で、締約国の国民に等しく立ち入りと経済活動の権利を認めたものだ。ついでに言うと、種を預けているのは個人ではなく大学や政府機関だよ。ちなみに日本はこの条約の原署名国のひとつ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
補足すると、住めることと暮らせることは別だ。ビザは要らないが社会保障の網も本土と同じようには広がっていなくて、自力で生計を立てられない人は退去を求められうる。北極圏の町で仕事と住居を自分で確保するのは、想像よりずっと難易度が高い。
16. 海外の名無しさん
「生まれることも死ぬこともできない」というやつ、この島の話題では毎回出てくるけど、かなり誇張が入ってると思う。死んだら逮捕されるわけじゃあるまいし、どうやって禁止するつもりなんだ。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
正確には、埋葬が事実上できないという話だね。永久凍土のせいで遺体が分解されず、そのまま保存されてしまうから、町の墓地はずっと前から新規の埋葬を受け入れていない。あと病院に高度な設備がないので、重い病気の人や出産の近い妊婦は本土に移される。結果として「生まれない・死なない町」に見えるだけだ。
18. 海外の名無しさん
一冬だけ住んでいたことがある。あそこの買い物は人生でいちばん怖い散歩だった。地元の人は「大丈夫、安全だよ」と言うくせに、その直後に「何年か前にあのへんで女性がクマにやられてね」と適当な山を指差してくる。あの温度差には最後まで慣れなかった。
19. 海外の名無しさん
北ドイツの田舎でも、近所は基本的に玄関を開けっぱなしにしている。ついでに言うと、ハイキングコースの近くにジャガイモや牛乳や薪の無人販売所がいくつもある。買う側が代金を箱に置いていくだけで、商品は誰でも持っていける状態で並んでいる。それでもだいたいうまく回っているよ。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
スヴァールバルの大学も、食堂が同じ方式だったらしい。取ったぶんの代金を瓶に入れるだけ。ああいう仕組みが成り立っている土地は、鍵をかけないことにも抵抗がないんだと思う。逆に言えば、その前提が一度崩れると戻すのは難しい。
21. 海外の名無しさん
仕事で5回ほどスヴァールバルに行っている。観光の波は、正直あの町の規模で受け止められる量じゃない。もともと鍵をかける習慣がなかった場所で、かけざるを得なくなっているのは見ていてつらい。
2016年に行ったときは、若いホッキョクグマが自分の作業場のすぐ横を通って街のほうへ歩いていった。そのとき自分は扉を閉めた車庫の中にいたので何も気づかず、知ったのは夕方だった。もしあのとき駐車場にいたら、いちばん近い車に飛び込めるかどうかで結果が変わっていたと思う。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
これはノルウェー全体の話でもある。とくにトロムソがひどい。3〜4年前まではオスロかヘルシンキ乗り換えが基本で、それが結果的に人数の上限になっていた。そこへヨーロッパ各都市からの直行便が一気に増えて、受け入れる側の設備が追いつかなくなった。バス停の脇や民家のそばで用を足す人が出ているし、住宅は民泊業者に買われて学生が部屋を借りられない。レンタカーの事故も多くて、行政が対応に乗り出したくらいだ。
23. 海外の名無しさん
アラスカでも同じことをやっている。相手はホッキョクグマじゃなくてヘラジカだけど、鉢合わせしたときに逃げ込める場所を残しておくという考え方は変わらない。カナダのヌナブト準州でもまったく同じ習慣があると聞いた。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
外にホッキョクグマがいるとしても、ヘラジカを家に入れるのはさすがに無理だ。あれは扉をくぐった時点で、こちらの家具のほうが先に負ける。
25. 海外の名無しさん
この話題は何年も定期的に流れてくるけど、そのたびに「鍵をかけない町がある」という部分だけが切り取られて広まって、なぜかけないのかという理由のほうは残らない。アラスカやヌナブトの例もそうで、あれは心温まる美談じゃなくて北で暮らすための知恵なんだ。見に行く価値のある珍しい習慣として消費された時点で、その習慣は少しずつ削れていく。今回の投稿は、まさにその過程を伝えているんだと思う。
まとめ
ノルウェー領スヴァールバル諸島のロングイェールビーンでは、家や車に鍵をかけないことが安全上の助言とされてきた。通りにホッキョクグマが現れたとき、誰でもすぐ逃げ込めるようにするためである。ところが大型クルーズ船が寄港する日は、住民のほうが鍵をかける。下船した観光客が他人の家に上がり込んでくるからだ。コメント欄でいちばん伸びたのは、この習慣が善意ではなく緊急避難の設計だという点への驚きよりも、観光地に住む人たちの疲弊した実感のほうだった。庭にテントを張られた、ゴミ箱に他人のゴミが入っていた、テラスの椅子が消えた——ノルウェー各地から同じ話が並んだ。一方で現地の住民からは「うちが鍵をかけないのは鍵が凍るから」という身もふたもない補足が入り、ビザ不要の理由をめぐる誤解も別の住人に訂正された。最後は「珍しい習慣として消費された時点で、その習慣は削れていく」という一言に落ち着いている。
元ソース: ノルウェー領スヴァールバル諸島の住民は、ホッキョクグマが通りに現れたとき誰でも逃げ込めるように、家や車の鍵をかけないことが多い。しかし観光がこの習慣を壊しかけている

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