1530年、フィレンツェ共和国がメディチ家に倒されたとき、彫刻家ミケランジェロは姿を消した。彼は共和国側についてメディチ家と戦った「裏切り者」で、捕まれば命がなかった。3か月後にひょっこり現れた彼が、どこに隠れていたのか——それは1975年まで、誰一人知らなかった。
※注:メディチ家は当時のフィレンツェを支配した大富豪の一族で、ミケランジェロの長年のパトロン(後援者)でもあった。
今日の知ってた?
🎨 隠れ場所は、メディチ家の霊廟の真下にある幅2メートル・長さ7メートルの行き止まりの小部屋だった。しかもその礼拝堂を設計したのはミケランジェロ本人。皮肉なことに、追っ手の本拠地の地下に身を潜めていたのだ。1975年に床下の改修工事で偶然この空間が見つかり、壁一面が彼自身の木炭スケッチで埋め尽くされていた。
背景:メディチ家とミケランジェロ
メディチ家はルネサンス期フィレンツェを牛耳った銀行家の一族で、芸術家の最大のパトロンだった。ミケランジェロも若い頃からこの一族に目をかけられて育っている。ところが1527年、市民がメディチ家を追放して共和国を復活させると、ミケランジェロは「九人委員会」の一員として共和国側に立ち、メディチ家の復権を阻む防衛要塞の設計を任された。かつての恩人と、まさに戦う立場になったのだ。
1529年から始まった10か月の包囲戦の末、1530年8月10日にフィレンツェは降伏する。降伏条件には政治的な保護が盛り込まれていたはずだったが、教皇クレメンス7世はすぐに共和派の弾圧を始めた。たった一日で5人の反メディチ市民が拷問の末に斬首されたと記録に残っている。共和国に味方し、要塞を築き、しかも「メディチ宮殿を壊せ」と提案したという(おそらく事実無根の)噂まで立っていたミケランジェロが、身の危険を感じて姿を消したのは当然だった。
もう少し詳しく
隠れ家は、彼が10年前に手がけた仕事場の地下だった。ミケランジェロが身を潜めたのは、サン・ロレンツォ聖堂「新聖具室」の地下にある狭い通路。彼は数年前からここでメディチ家の墓の彫刻を制作していたため、この行き止まりの空間の存在を知っていた。当時の伝記作家たちは「友人の家に隠れた」「教会の鐘楼に潜んだ」とまちまちに書き残しており、隠れ場所の真相は誰も突き止められなかった。
退屈な3か月が、壁を作品に変えた。11月、教皇の怒りが収まり「墓の制作に戻るなら許す」という条件が示されると、ミケランジェロは隠れ家から数段の階段を上るだけで仕事場に戻った。残されたのは、薄暗い小部屋の壁いっぱいに描かれた木炭のスケッチ。腕や脚、横顔、彫刻の習作らしき人体——明らかに大量の時間を持て余した巨匠が、手元の木炭一本だけで描き続けた跡だった。1975年、礼拝堂の床下を補強する工事中にこの通路が発見され、壁の絵から「ここがあの3か月の隠れ家だ」と判明したのである。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
ざっくり言うと、ミケランジェロは共和国側の軍事技師としてメディチ家の侵攻を防ぐ防衛計画を立ててたんだよね。で、共和国が負けた後、報復から逃れるために穴に潜った。笑えるのは二点。隠れた礼拝堂が「逃げてる相手の持ち物」だったことと、その礼拝堂を10年前に設計したのが本人だってこと。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
でも食事も水もトイレもあったわけでしょ? こっそり抜け出してたのか、それとも誰か手伝ってた人がいたのか…そこが一番気になる。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
たぶん夜中に必要なときだけ抜け出して食料を調達してたんじゃないかな。協力者がいたとしても「どこから来てどこへ行くか」は言わずに、黙って物を受け取ってたんだと思う。
4. 海外の名無しさん(>>1への返信)
当時の伝記作家ですら隠れ場所を知らなかったってことは、本人が手伝ってくれた人以外には絶対に詳細を漏らさなかったんだろうね。秘密の守り方が完璧すぎる。
5. 海外の名無しさん
出社命令(リターン・トゥ・オフィス)に従っただけだろ。
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
オフィスにキッチンカーが来るって聞いて出てきたらしい。
7. 海外の名無しさん
待って——ミケランジェロは共和国側でメディチ家と戦ったんだよね。で、絵が見つかったのはメディチ家の地下墓所。これって隠れてたの? それとも囚われてたの?
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
隠れてた、が正解。彼らの本拠地は「絶対に探さない最後の場所」だったわけ。墓の制作で出入りしてたから、どこに身を隠せるか知り尽くしてたんだよ。
9. 海外の名無しさん
サダム・フセインみたいだな。穴に潜んでたって意味で。
10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
でもサダムは見つかった。こっちのギガチャドは、メディチ家が恩赦を出す気だと聞いて自分から穴を出てきたんだ。しかも当時は誰も隠れ場所を知らないまま。堂々と現れて、許しをもらって、何事もなかったように仕事に戻った。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
真上の部屋で恩赦の話をしてるのを聞きつけて、奥の小部屋から「やあ、みんな調子どう?」って急に出てくる絵が浮かぶわ。
12. 海外の名無しさん
隠れ場所の写真を見たけど、隠れ家にしては結構広いな。ニューヨークのワンルームより広いまであるぞ。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
行き止まりの通路だから「長いけど幅はめちゃくちゃ狭い」って感じ。実質、小さな地下シェルターだよ。3か月こもるにはなかなかキツい。
14. 海外の名無しさん
3か月分の食料と水って、自分一人分で風呂にも入らないなら案外そんなに多くないんだよな。壁際に水や穀物、燃料を入れた壺をずらっと並べてたんじゃないかと想像してる。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
誰が風呂に入らないって言った? なんで俺が体を洗わない前提なんだ。
16. 海外の名無しさん
1530年だぞ。変装してこっそり買い物に出るくらい、そこまで難しくなかったと思う。出入りさえ見られなければ、数か月くらい気づかれずに過ごせたんじゃないか。
17. 海外の名無しさん
ミケランジェロ「どうせ死ぬなら、壁にファンアートを残してから死ぬ」
18. 海外の名無しさん
壁の絵に黒い光(ブラックライト)を当てた瞬間、みんな腰を抜かしたらしい。本物の巨匠の習作がいきなり浮かび上がってくるんだから、そりゃ蒸発するくらい驚くわ。
19. 海外の名無しさん
ナショジオで例の絵の写真を見たけど、ちょっとした落書きどころじゃない。明らかにルネサンスの巨匠が、大量の時間を持て余して描き込んだ代物だった。木炭一本しか道具がなかったのもよく分かる。1530年に3か月忽然と消えた事実と合わせれば、ここが隠れ家だったと結論づけるのは至って論理的だと思う。
20. 海外の名無しさん
去年フィレンツェでメディチ家礼拝堂を見てきた。壁のスケッチがなくても十分すごい場所なんだけど、あの一角は格別だった。西洋美術史最高の人物の「落書き」を間近で見られるんだから。そんなに広くないし、数時間でじっくり回れる。フィレンツェに行くなら絶対おすすめ。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
今は一般公開されてるんだよね。予約して降りていくと、本当に壁一面が彼の手の跡。鳥肌が立ったよ。
22. 海外の名無しさん
発見されたのが1975年っていうのが地味にすごい。445年間、誰の目にも触れずに巨匠のスケッチが地下で眠ってたわけだ。床の補強工事をした作業員、人生で一番の発見だったろうな。
23. 海外の名無しさん
玉座に座れば誰の居場所でも分かる、と豪語する女王の話を思い出した。ある男が玉座の真下までトンネルを掘って隠れたから、女王は自分の足元だけは見ず、ついに見つけられなかったっていう。今回のミケランジェロとまったく同じ発想だ。
24. 海外の名無しさん
かつての恩人と戦って、負けて、命を狙われて、その本拠地の地下に隠れて、最後はその恩人に許されてまた仕事に戻る。一言では片付けられない、嵐みたいな関係性だったんだな。
25. 海外の名無しさん
小説『苦悩と歓喜(The Agony and the Ecstasy)』を読んでない人が多すぎる、ということが今日分かった。あの本にこのあたりの話が出てくるんだよ。
まとめ
追っ手の本拠地の地下、しかも自分が設計した礼拝堂の床下に3か月こもり、壁を木炭のスケッチで埋め尽くしたミケランジェロ。445年後に偶然見つかったその部屋は、巨匠の「退屈の記録」でもあった。コメント欄では「どうやって食料を確保したのか」という素朴な疑問から、「囚人か隠れ家か」「サダムより上」といった脱線まで盛り上がり、フィレンツェで実物を見た人の体験談まで集まっていた。


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