銀行強盗が捕まる理由はいろいろあるが、「盗んだ金を、襲ったその銀行の窓口に持っていったから」というのは、さすがになかなか聞かない。しかもこれ、アメリカで初めて記録された大規模な銀行強盗の話である。舞台は1798年のフィラデルフィア。事件は、まったく無関係の鍛冶屋が3か月間も牢に入れられるという、もう一つの理不尽とセットで起きていた。
※注:1798年のアメリカは建国からまだ10年ほどしか経っていない。全国的な警察組織は存在せず、事件の捜査は「保安官吏(コンスタブル)」と、被害に遭った銀行自身が手探りで進めていた。銀行も国営ではなく、州の認可を受けて設立された民間の会社である。
今日の知ってた?
💰 1798年、フィラデルフィアのペンシルベニア銀行から162,821ドルが消えた。アメリカ初の大規模な銀行強盗とされる事件である。
🔒 真っ先に疑われたのは、その金庫の錠前を取り付けた鍛冶屋パトリック・ライオン。事件当時、彼はフィラデルフィアにすらいなかったのに、3か月投獄された。
🏦 一方で真犯人は、盗んだ金を銀行に預けに行った。しかもその預け先には、自分が襲った当のペンシルベニア銀行が含まれていた。
背景:黄熱病に襲われた1798年のフィラデルフィア
1798年のフィラデルフィアは、当時のアメリカで最大級の都市であり、事実上の首都機能を担う街だった。そして同時に、黄熱病の大流行に飲み込まれた街でもある。感染を恐れた住民が次々と郊外や近隣の州へ逃げ出し、市内は半ば機能停止に近い状態になっていた。
その混乱のさなかに、ペンシルベニア銀行のカーペンターズ・ホール内の金庫室から、162,821ドルの現金が消える。銀行という仕組み自体がまだ新しかった時代の、初めての本格的な被害だった。今のように指紋も監視カメラも、そもそも専従の捜査機関もない。銀行は「この金庫を開けられる技術を持つのは誰か」という一点から犯人像を組み立てた。そして、その金庫の錠前を製作・設置した鍛冶屋パトリック・ライオンにたどり着く。
ライオンは黄熱病を避けて、事件の前にデラウェアへ移っていた。つまり犯行当日、現場から遠く離れている。それでも疑いがかけられていると知った彼は、逃げ隠れせず、自分で説明するためにフィラデルフィアへ戻った。待っていたのは弁明の機会ではなく、ウォルナット・ストリート監獄の独房だった。
もう少し詳しく
「話が細かすぎる」から怪しい、という理屈。ライオンを尋問したのは、保安官吏と、被害者であるはずの銀行の頭取・会計主任だった。彼は「事件の2日前にデラウェアへ発った」と経緯を説明したのだが、記録によれば、その説明が「細かすぎて、あらかじめ用意してきたように聞こえる」と受け取られたという。さらに彼が気分の悪さを訴えて水を求めると、動揺の証拠と見なされた。何を言っても不利に解釈される状況で、彼には15万ドルという到底払えない額の保釈金が設定され、そのまま3か月拘置された。ライオン自身は後に「私は、人類の中でとりわけ聡明とは言えない人々の手に落ちたのだと知った」と書き残している。
真犯人は、建物の内側にいた。実際の犯行は内部の人間による仕業だった。カーペンターズ・ホールに出入りしていた大工のアイザック・デイヴィスと、銀行の雑用係だったトマス・カニンガム。金庫の錠前を作った職人よりも、日常的に建物へ出入りしていた人物の方がよほど自然な容疑者である。そしてデイヴィスは、盗んだ現金をいくつかの銀行に預け入れることで自ら足跡を残した。その預け先のひとつが、自分たちが襲ったペンシルベニア銀行だった。突然現れた不自然な大金は、当然のように記録に残り、追跡された。
162,821ドルは、今の感覚でいくらなのか。消費者物価をもとにした一般的な換算では、現在の価値でおよそ400万ドル前後——日本円にして6億円規模と言われる。ただしこの手の換算は前提の置き方で大きく振れる。当時の熟練職人の日当は1.5〜2ドルほど、年収にして700ドル前後だったとされるので、「何人分・何年分の労働に相当するか」で測ると、体感的な重みはさらに一段上がるという見方もある。いずれにせよ、生まれたばかりの国の銀行にとっては屋台骨が揺らぐ規模の金額だった。
無実が晴れたあと、鍛冶屋は反撃に出た。ライオンは最終的に嫌疑を晴らし、不当な投獄をめぐって銀行と関係者を訴え、9,000ドルの和解金を勝ち取っている。当時の職人の年収と比べれば十数年分にあたる額で、彼はこれを元手に事業を広げ、やがて裕福な実業家になった。そして事件から30年近く経った頃、画家ジョン・ニーグルに肖像画を注文する。成功した紳士の装いで描かせることもできたはずだが、彼が選んだのは革のエプロンをまとい、金床に向かう鍛冶屋そのものの姿だった。自分は最後まで職人であり、あの投獄は不当だったのだという主張が、一枚の絵に焼き付けられている。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
「すみません、この妙に細かい162,821ドルを、私の口座に預けたいのですが」……窓口の人、この時点で何か気づいてくれ。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
ドル記号がでかでかと印刷された麻袋に入れて持ち込んだんだろうな。しかもその袋、この銀行で使ってるやつと同じデザインという。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
申し訳ございませんお客様、当行では「戦利品」と書かれた袋しかお預かりしておりません。またのご利用をお待ちしております。
4. 海外の名無しさん
世の中どんどんバカになってるなあと思うことがあるけど、こういう話を読むと「いや、人類は昔からずっとこうだったわ」って妙に安心する。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
昔と違うのは、愚かさが全世界へ一瞬で配信されるようになったことだけだと思う。総量は変わってなくて、可視化されただけ。
6. 海外の名無しさん
補足しておくと、この強盗が起きた1798年のフィラデルフィアは黄熱病が猛威をふるっていて、街から逃げ出す人が続出していた。ライオンもデラウェアへ避難していて、事件当日は現場から遠く離れている。それでも銀行は彼を疑い、彼は「自分で説明する」と言ってわざわざ戻ってきた。その結果が3か月の投獄である。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
保釈金が15万ドルだったらしい。盗まれた額とほぼ同じ数字を保釈金に設定されたら、そりゃ誰も出られない。最初から出す気がない設定でしょこれ。
8. 海外の名無しさん
実際の犯行は完全な内部の仕業だった。カーペンターズ・ホールに出入りしていた大工のアイザック・デイヴィスと、銀行の雑用係トマス・カニンガム。錠前を作った職人より、毎日建物に出入りしている人間を先に調べるべきだったんじゃないか。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
一番わかりやすい容疑者に飛びついて、そこで思考が止まるやつ。捜査というより「犯人ということにできる人を探す」作業になってる。
10. 海外の名無しさん
162,821ドルって、今の価値だと400万ドル近いらしい。18世紀の銀行にそれだけの現金が積み上がっていたこと自体が、けっこう驚きだ。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
正直、意外と少ないなと思ってしまった自分がいる。200年以上前の16万ドルなら、もっと途方もない数字になると思ってた。インフレの感覚が狂ってるのかもしれない。
12. 海外の名無しさん
物価だけで換算すると実感がずれるんだよね。当時の熟練職人の日当が1.5〜2ドル、年収にして700ドルくらい。労働日数に置き換えて測ると、腕のいい職人が200年以上働き続けてやっと届く額ということになる。
13. 海外の名無しさん
銀行を襲ったあとで「この金、どこに置くのが一番安全かな……そうだ、銀行だ」という結論にたどり着く思考回路がすごい。理屈としては正しいのが、なおさら悪い。
14. 海外の名無しさん
被害者である銀行の頭取と会計主任が、そのまま容疑者の尋問役をやっているのが一番こわい。今なら利益相反で一発アウトだけど、当時はこれが普通の手続きだったわけだ。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
記録によると、ライオンが「事件の2日前にデラウェアへ発った」と説明したら、話が細かすぎて用意してきたようだと言われ、気分が悪くなって水を求めたら「動揺している、つまり犯人だ」と確信されたらしい。何を言っても詰みじゃないか。
16. 海外の名無しさん
出獄後にライオンが自分で書いた手記のタイトルが『ペンシルベニア銀行強盗に関与したという漠然たる疑いのみによってフィラデルフィアの牢獄で三か月の過酷な投獄に苦しんだパトリック・ライオンの手記、ならびに彼の所見』。表紙の時点で怒りがまったく収まっていない。
17. 海外の名無しさん
無実が晴れたあと、銀行と関係者を不当投獄で訴えて9,000ドルを勝ち取っているのが本当に立派。泣き寝入りせず、司法の場で殴り返している。
18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
9,000ドルは今でいうと25万ドルくらいらしい。ただ当時の職人の年収が700ドル前後だと考えると、いきなり十数年分の稼ぎが手に入ったことになる。人生の設計が変わる金額だ。
19. 海外の名無しさん
調べていたら、犯人のデイヴィスは有力な判事だった叔父の口利きで州知事から恩赦を受け、一日も服役しなかったと書かれていた。無実の鍛冶屋は3か月、真犯人はゼロ日。順序が完全に逆である。
20. 海外の名無しさん
しかも自白が出たあとも、銀行と役人は「金庫の合鍵を作ったのはライオンだ」と言い張って、さらに数週間彼を牢に入れたままにしたらしい。単に間違いを認めたくないだけじゃないか。
21. 海外の名無しさん
30年近く経って裕福な実業家になったライオンは、画家ジョン・ニーグルに肖像画を注文するとき、紳士の服装ではなく革のエプロン姿で金床に向かう鍛冶屋の自分を描かせた。しかも背景には、自分が入れられていた牢獄が描き込まれている。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
「あのとき私を牢に放り込んだ連中へ」という一文を、絵一枚で言い切っているのがすごい。史上最高の「だから言っただろう」だと思う。
まとめ
金庫の錠前を作ったというだけで、事件当時その街にいなかった鍛冶屋が3か月投獄され、盗んだ金を襲った銀行に預けに行った真犯人は恩赦で一日も服役しなかった——アメリカ初の大規模銀行強盗は、犯人の間の抜けた行動と同じくらい、当時の捜査のいい加減さで記憶されている。コメント欄も「窓口に持ち込む発想がすごい」と笑う声から始まり、「被害者が尋問役を兼ねている時点で終わっている」という指摘を経て、最後は「革のエプロン姿で肖像画を描かせたライオンが一番かっこいい」で締まっていた。
元ソース: 1798年、アメリカ初の大規模銀行強盗で162,821ドルが盗まれた。金庫の錠前を取り付けた鍛冶屋は濡れ衣で投獄され、真犯人は盗んだ金を同じ銀行に預けたことで足がついた

コメント