ニュートンといえば、落ちるリンゴと万有引力、そして『自然哲学の数学的諸原理』である。ところが本人が生涯でいちばん長く向き合い、いちばん多くの言葉を費やした対象は、重力でも光でもなかった。30年以上にわたって炉の火を焚き続け、100万語を超える原稿を誰にも見せずに書きためた。その先にあったのは、卑金属を黄金に変えるという「賢者の石」である。
※注:賢者の石=鉛や鉄のような安価な金属(卑金属)を金や銀に変え、さらには人を不老不死にするとも信じられた、伝説上の物質。ヨーロッパの錬金術師たちが千年以上にわたって追い求めた最終目標で、作り方は弟子以外に漏らさないのが習わしだった。
今日の知ってた?
⚗️ アイザック・ニュートンは30年以上を錬金術の研究に費やし、100万語を超える文章を人目に触れない形で書き残した。賢者の石を求めて数え切れないほどの実験を行ったが、ついに見つけることはなかった。錬金術についての成果を、彼は生前ひとつも公表していない。原稿は死後200年以上ものあいだ研究者の手に渡らず、1936年の競売でようやく散り散りに世へ出た。
背景:当時、錬金術と化学は別のものではなかった
「あのニュートンが錬金術に手を出していた」という驚きは、実のところ現代の区分を過去に当てはめたところから生まれている。17世紀のイングランドには、「化学」と「錬金術」を隔てる線がまだ引かれていなかった。金属の精錬、薬の調合、染料づくり、ガラスの製造——物質を火にかけて別のものへ変える技術は、まとめてひとつの分野だった。今の科学史の研究者がこの時代を指すとき、あえて古い綴りを使って「キミストリー」と呼び分けるのは、そのためである。
卑金属から金を作るという発想も、当時の知識からすれば荒唐無稽ではなかった。物質が何種類かの元素の組み合わせでできている、という近代的な考え方が固まるのは、フランスのラヴォアジエ以降の話で、ニュートンの死からさらに半世紀以上あとになる。それまでは、あらゆる物質は共通の材料が違う形で混ざっているだけだ、と見るほうがむしろ自然だった。鉛と金は、どちらも重く、柔らかく、叩けば延びる。そこに越えられない壁があると考える理由が、まだ誰にもなかったのである。
ニュートンの取り組み方も、片手間の趣味と呼べるものではない。ケンブリッジのトリニティ・カレッジで、彼は自室の脇に炉を築いていた。身の回りの世話をしていた助手が残した証言によれば、春と秋には炉の火を昼も夜も絶やさず、交代で見張りながら実験を続けたという。手稿として残っているのも、思いつきの走り書きではなく、実験の日付と手順、材料の索引、そして他の錬金術師の書物からの抜き書きである。どの本の何ページから写したかまで、律儀に控えてある。
もう少し詳しく
100万語の中身は、思われているほど「怪しげ」ではない。錬金術の原稿と聞くと、魔法陣めいた図と呪文が並んだ紙束を想像しがちだが、大半を占めるのは読書ノートである。当時は本が高価で、しかも錬金術の書物は寓意と暗号だらけだった。だから彼はひたすら写し、記号を突き合わせ、同じ物質が別の名前で呼ばれていないかを照合していった。近年、インディアナ大学が進める手稿の電子化プロジェクトによって、この膨大な紙束が誰でも読める形になった。裏返せば、ニュートンの錬金術がまともに研究できるようになったのは、ここ数十年のことだということでもある。
彼が隠していたのは、錬金術だけではなかった。ニュートンは神学についても膨大な量を書き残しており、その分量は錬金術の原稿に匹敵する。しかも中身が穏やかではない。父と子と聖霊は一体である、という三位一体の教義を、彼は聖書の読み込みの果てに退けていた。当時のイングランドで、これは公言すれば地位を失いかねない立場である。ケンブリッジの研究職を続けるには国教会の聖職に就くのが決まりだったが、ニュートンは1675年に国王の特別な免除を得て、叙任せずに教授職にとどまった。秘密主義は性格の問題であると同時に、身の安全の問題でもあった。
金属を扱う仕事に、彼は最後、本当に就いてしまった。1696年、ニュートンは王立造幣局の監事(ウォーデン)に任命される。給料だけ受け取って実務は部下に任せる名誉職、というのが周囲の理解だった。ところが本人は毎日出勤し、酒場に人を送り込んで証言を集め、偽造犯を次々と法廷へ引きずり出した。中でも有名なのが、造幣局そのものの無能さを公然と非難しながら裏で贋金を刷っていたウィリアム・チャロナーで、1699年に処刑されている。獄中から助命を乞う手紙が何通も届いたが、ニュートンは一通も返さなかったと伝えられる。金を作ろうとした男が、金の純度を守る側の役人として名を残したことになる。
原稿が200年埋もれた経緯には、はっきりした分岐点がある。ニュートンの遺した紙束は縁戚をたどってポーツマス伯爵家に伝わり、1872年にケンブリッジ大学へ預けられた。大学は16年をかけて目録を作り、1888年、数学と自然科学の文書だけを受け取って残りを送り返した。錬金術・神学・古代年代学の原稿は「それ自体としてはほとんど興味がない」と評価されたのである。行き場を失った紙束は、1936年7月13日と14日、ロンドンのサザビーズで競売にかけられた。329の区分に分けられ、総額は9000ポンド強。世界の科学史を書き換える一次資料が、この値段で散っていった。
買い戻したのは、経済学者だった。競売の意味に気づくのが遅れた経済学者ジョン・メイナード・ケインズは、終わったあとから業者や個人を回って錬金術の原稿を買い集め、1946年に亡くなる際、集めた分をケンブリッジのキングズ・カレッジへ遺贈した。神学の原稿を中心に集めたのは、東洋学者のアブラハム・ヤフダである。そちらは現在、イスラエル国立図書館に収まっている。原稿を読み込んだケインズは、のちに公表された文章の中でこう書いた。「ニュートンは理性の時代の最初の人ではなかった。彼は最後の魔術師だった」。
「水銀で頭がおかしくなった」という話は、断定できない。1979年、保存されていたニュートンの毛髪を分析したところ、水銀と鉛が高い濃度で検出された。これが1693年に彼が経験した不調——不眠、記憶の混乱、友人への被害妄想じみた手紙——と結び付けて語られることは多い。ただし、原因を心理的なものに求める研究者も同じくらいいて、決着はついていない。そう語られることがある、という以上のことは、今のところ誰にも言えない。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
「見つけることはなかった」とわざわざ書き添えてあるのが好きだ。ここを省略できないあたりに、この話のおかしみが全部詰まっている気がする。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
というより、我々がそう信じるように仕向けられているだけかもしれない。三百年前に本当に成功した人間が、わざわざそれを論文にして発表すると思うか?
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
その理屈でいくと、彼は今このスレッドを黙って読んでいることになるな。ニュートンさん、見てますか。三百年おつかれさまです。
4. 海外の名無しさん
つまり賢者の石はまだどこかに眠っている、ということでいいのか。三十年かけた天才が取り逃がしたのなら、まだ誰の手にも渡っていないはずだ。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
残念ながら兄弟が先に持っていった。代価は腕が一本と脚が一本、それと人間ひとつ分。あの兄弟に比べれば、炉を焚いていただけのニュートンはずいぶん安上がりに済んでいる。
6. 海外の名無しさん
大事なのは、当時は誰も錬金術が間違いだと知らなかったという点だと思う。答えが出たあとの世界から笑うのは、順番として反則ではないか。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
まったくその通りで、物質が元素の組み合わせでできているという考え方が固まるのは、ニュートンが死んでから半世紀以上あとの話だ。鉛と金が原理的に別物だという保証が、当時はどこにも存在しなかった。
8. 海外の名無しさん
無駄な三十年だったとも言い切れないと思っている。炉の温度の上げ方、るつぼの扱い、蒸留、秤の読み方——物質を実際に手で触って確かめる技術は、まさにこの時代に磨かれたものだ。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
しかも彼の場合、錬金術の側でも手順と分量をきっちり書き残している。何をどれだけ、何時間加熱して、何が残ったか。目的が的外れだっただけで、やり方はむしろ後の化学のそれに近い。
10. 海外の名無しさん
趣味くらい好きにやらせてあげてほしい。人類史に残る仕事を三つも四つも片付けた人が、余った時間で炉を焚いていた。それだけの話ではないのか。
11. 海外の名無しさん
偽造犯を追い詰めて絞首台に送った話も入れてほしかった。ウィリアム・チャロナーという男で、獄中から何度も助命を頼む手紙を書いたのに、ニュートンは一通も返事をしなかったらしい。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
造幣局の役職はもともと名誉職で、給料だけ受け取って実務は部下に丸投げするのが普通だった。そこへ本人が毎日出勤してきて、酒場に人を送り込んで証言まで集め始めたわけだ。周りは相当困ったと思う。
13. 海外の名無しさん
講義に誰も来なかった、という話が個人的にはいちばん好きだ。頭が良すぎる人は、相手がどこでつまずくのかを想像できない。自分にとって明らかなことを、明らかでない人向けに並べ直せないから教えるのが下手になる。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
そこは違うと思う。教えるというのは知能とは別のスキルで、頭の良くない人だって普通に教えるのは下手だ。賢いから下手なのだ、という話にすり替えるのはさすがに乱暴じゃないか。
15. 海外の名無しさん(>>14への返信)
大学院で数学をやっていた友人が、教え方に関する必修の講義はひとつもないし、わざわざ取る必要もないと指導教員に言われたそうだ。才能の問題ではなく、制度の側がそもそも育てていないだけ、という説明のほうが納得できる。
16. 海外の名無しさん
三位一体を否定していたという話が、自分にはいちばん刺さった。数字を扱う人だから、三つでありながら一つである、という説明をどうしても飲み込めなかったのではないか。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
当時のイングランドでそれを口に出すのは本当に危険だった。ケンブリッジで研究職を続けるには聖職に就くのが決まりで、彼は国王から特別な免除を取り付けることでなんとか切り抜けている。隠していたのは錬金術だけではなかったということだ。
18. 海外の名無しさん
水銀の話が出るたびに「晩年おかしくなったのは水銀中毒のせい」と断言する人が現れるけれど、あれは確定した話ではないはずだ。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
毛髪から水銀と鉛が高い濃度で出たのは1979年の分析で事実。ただ、1693年の不調については心理的な要因を挙げる研究者も同じくらいいて、どちらとも決まっていない。面白い説ほど断言したくなるのは分かるけれど。
20. 海外の名無しさん
「今の科学者は違う」と思いたくなるが、ノーベル賞を二度取ったポーリングは晩年ビタミンCの大量摂取にのめり込んだし、PCRを発明したマリスは占星術を信じてエイズの定説を否定し続けた。突出した人が突出した外れ方をするのは、今もまったく変わっていない。
21. 海外の名無しさん
賢者の石の探究は世間に誤解されている。あれは「悟り」と置き換えて読むと意味が通る、というのが自分の理解なんだが。
22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
精神的に読み解く伝統があるのは確かだけれど、ニュートンに当てはめるのは難しいと思う。彼が探していたのは鉛を金に変える触媒になる物質そのもので、残っている記録はどこまでも即物的だ。何度で何時間加熱して何が残ったか、という話が延々と続く。
23. 海外の名無しさん
ちなみに加速器を使えば鉛から金は実際に作れる。2025年にCERNが、衝突の際に鉛の原子核から金の原子核ができていることを測定したと発表している。
24. 海外の名無しさん(>>23への返信)
できる量はピコグラム単位で、しかも一瞬で壊れる。電気代を計算に入れれば、素直に金を買ったほうが天文学的に安い。技術的には可能だが経済的には完全な赤字という、いちばん夢のない形での夢の実現だ。
25. 海外の名無しさん
100万語のうち大半が他人の本からの抜き書きだった、というところが妙に人間くさくて好きだ。三十年かけて先人の書いたものを写し、記号を突き合わせ、注釈をつけて、それでも答えは出なかった。答えが出ないと分かるまで続けられるのも才能のうちだと思う。
まとめ
ニュートンが30年以上を注ぎ、100万語を書き残した錬金術は、当時の感覚では「怪しげな脇道」ではなく、物質を扱う学問そのものだった。彼は賢者の石を見つけられず、成果を一行も公表せず、原稿は「それ自体としてはほとんど興味がない」と評されて大学から送り返され、1936年に競売で散った。読める形になったのは、ここ数十年のことである。
コメント欄は「見つけることはなかった、とわざわざ書いてあるのが良い」という笑いから始まり、当時の物質観の話、教えるのが上手いこととの関係、三位一体を否定していた話へと広がっていった。水銀中毒説に釘を刺す人がいた一方で、ノーベル賞学者の晩年を引き合いに「今もまったく変わっていない」と書く人もいた。天才が三十年かけて空振りする姿は、笑うにはあまりに真剣で、褒めるにはあまりに実らない。その居心地の悪さが、この話をいつまでも面白くしているのだと思う。
元ソース: 「ニュートンは30年以上を錬金術の研究に費やし、100万語を超える文章を人知れず書き残していた。賢者の石を求めて数多くの実験を行ったが、見つけることはなかった」(元スレッド)

コメント
現代なら核融合や核分裂で金を作れるんじゃない?
得られる金より膨大な費用が掛かるだろうけど