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「依頼人は出頭できません。地元の猫たちが殺害を企てているので」16世紀フランス、ネズミの裁判で弁護人が放った一言…

「依頼人は出頭できません。地元の猫たちが殺害を企てているので」16世紀フランス、ネズミの裁判で弁護人が放った一言… 歴史

「私の依頼人は、法廷に出頭することができません。地元の猫たちが、彼らを殺そうと待ち構えているからです」——16世紀のフランスで、法廷に立った弁護人が大真面目にこう主張した。依頼人はネズミ。畑の作物を食い荒らした罪で、村ぐるみの裁判にかけられていた。そして驚くべきことに、この主張は通ってしまう。

※注:動物裁判=中世から近世のヨーロッパで、家畜・害獣・害虫を人間と同じ司法手続きにかけた慣行のこと。悪ふざけではなく、正式な法廷が開かれ、被告動物には弁護人までついた。

今日の知ってた?

⚖️ 16世紀のフランスで、作物を荒らしたネズミたちが裁判にかけられた。ネズミ側についた国選弁護人は、「依頼人は地元の猫に命を狙われており、安全に法廷まで来ることができない」と主張。この弁論で審理の引き延ばしに成功した。

※注:国選弁護人=被告が自分で弁護人を頼めない場合に、裁判所側が用意する弁護人のこと。ネズミは当然自分で弁護人を雇えないので、裁判所が指名した。

背景:動物裁判とはなんだったのか

現代の感覚だと「中世の人は本気でネズミを裁けると思っていたのか」と笑いたくなる。だが当時のヨーロッパでは、これは制度としてきちんと存在していた。ネズミの裁判が特別な奇行だったのではなく、豚、牛、イナゴ、ネズミ、甲虫まで、あらゆる動物が被告席に立たされた記録が残っている

スレッドのコメント欄で引用されていた説明によれば、当時のフランスでは1403年から1596年にかけて、動物は人間と同じ民事法と刑罰の対象とされていた。つまりネズミを法廷に呼び出すのは、その時代の法体系の中では「手続きどおり」の行為だったことになる。

では、なぜそんなことをしたのか。ひとつの説明は世界観にある。当時の人々は、この世のあらゆるものが神の秩序のもとに序列づけられて配置されている、と考えていた。動物には動物の役割があり、その役割から外れて振る舞うことこそが問題だとされた。畑を壊滅させるイナゴの大群は、秩序を踏み越えた存在だから有罪。人間の子どもを襲った豚も有罪。一方で、ブドウ畑の葉を食べるゾウムシは「虫が植物を食べるのは度を越さない限り自然の権利の範囲内」として無罪になった例まである。彼らなりの一貫した理屈が、そこには通っていた。

もう少し詳しく

弁護人は、まず「召喚状が届いていない」と主張した。猫の話にたどり着く前に、この弁護人は一度目の引き延ばしに成功している。ネズミたちは広い範囲に分散して住んでいるのだから、一度呼び出しを告知した程度では、被告全員に届いたとは言えない——だからすべての畑で、司祭が召喚状を読み上げるべきだと要求したのだ。手続き上の不備を突く、まったく正しい弁護活動である。そして当然、それは実行に時間がかかる。

そして「猫が待ち伏せている」の一手。召喚の問題が片づいても、ネズミは法廷に現れなかった。ここで弁護人が出したのが例の主張である。被告たちは出頭したくないのではない、道中で猫に殺されるから物理的に来られないのだ、と。被告に安全な出頭の道が確保されていない以上、欠席を理由に不利益を課すのは不当である——これも、法の論理としては筋が通っている。

判事は、この主張を受け入れた。ここが一番おかしいところだ。判事は弁護人の言い分に理があると認め、村人たちに対して「裁判の間、飼い猫を繋いでおくように」と命じた。ところが村人たちは、そろって拒否。猫を閉じ込めておくなど御免だ、というわけである。被告の安全が確保できないまま、裁判は成立しなくなり、訴えは却下された。結果として、ネズミ側が勝ったことになる。

弁護人のその後。この一件を担当した人物は、一般にバルテルミー・ド・シャスネという法律家だったとされる。彼はその後、フランスで名の知られた大物法律家へと出世していった。ネズミの弁護で見せた手続き論の冴えを思えば、なるほどと納得してしまう経歴ではある。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
なんだか楽しそうな催しに聞こえるな。村の全員が集まって、来るはずのない被告を待ちながら大真面目に法廷をやってるわけだろ。想像すると平和すぎる。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
猫の弁論の前に、この弁護人はもう一回引き延ばしてるんだよ。「ネズミたちは広い範囲に散らばって住んでいるので、召喚状はすべての畑で読み上げられなければ、被告に届いたとは言えない」って主張して。笑うわ

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
司祭が畑を一枚ずつ回って、誰もいない土の上に向かって召喚状を朗読していく絵面よ。それを村人が真顔で見守ってるんだろ。この時点でもう弁護人の勝ちだと思う。

4. 海外の名無しさん(>>1への返信)
続きがもっといい。判事は猫の主張を認めて、村人たちに「審理の間は飼い猫を繋いでおけ」って命令したんだ。で、村人が全員それを拒否した。結果、訴えは却下。つまりネズミ側の勝訴だよ。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
ネズミが勝った。16世紀の畑を荒らした被告団が、法廷で正式に勝訴して帰っていったわけだ。よくやったネズミ。

6. 海外の名無しさん(>>4への返信)
補足すると、動物の訴追はちゃんと制度としてあったものなんだ。当時の記述にはこうある。「動物裁判は、動物が超自然的な災厄の実行者であるかどうかを判定するために用いられた。1403年から1596年まで、フランス法のもとで動物は人間と同じ民事法と刑罰の対象だった」

7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
バカげて聞こえるけど、当時の世界観は「万物は神の秩序の階梯の中に配置されていて、そこから外れて振る舞うことが問題なのだ」というものだった。イナゴの大群? 有罪。子どもを襲った豚? 有罪。ブドウ畑を食べるゾウムシ? 度を越さない限り虫が植物を食べるのは自然の権利だから無罪。ちゃんと理屈が通ってるんだよ。

8. 海外の名無しさん
別に物議を醸したいわけじゃないし、猫について一般化するつもりもないんだが……その主張、たぶん事実だったと思うぞ。依頼人の身の安全を守った弁護人はいい仕事をした。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
この弁護人、実際その後フランスで名の通った大物法律家になってるんだよな。ネズミの案件でこれだけ手続きを組み立てられるなら、そりゃ出世もするわ。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
すごい偶然なんだけど、彼が働いていたと思われるディジョンの旧ブルゴーニュ高等法院の建物に、ついこの前行ってきたところだった。建物も街並みも本当に美しいところだよ。

11. 海外の名無しさん
ソーシャルメディア以前に育った人なら、暇をつぶすために何でもやった記憶があるだろう。テレビも映画もなく、読み書きも一般的でなかった時代はもっと大変だったはずだ。サーカスや大道芸や芝居が人気だったのもそれが理由。ネズミを裁判にかけたのも、退屈しのぎの要素はかなり大きかったと思う。

12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
電子機器もテレビもインターネットもない時代、人は本当に工夫して娯楽を生み出さないといけなかったんだな。村の裁判が最高のエンタメだったわけだ。

13. 海外の名無しさん
「中世の人間は野蛮で愚かだった」で片づけたくなる話だけど、読めば読むほど逆なんだよな。手続きは異様なまでに生真面目で、被告の権利もきちんと守られている。愚かなんじゃなくて、前提が違うだけなんだと思う。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
これは推測だけど、社会的な機能もあったんじゃないかな。作物が全滅すると村は本気で飢えるわけで、「なぜこうなったのか」を誰も説明できないのが一番きつい。裁判という形にすれば、少なくとも共同体として何かをやった、という区切りがつく。効くかどうかとは別の話としてね。

15. 海外の名無しさん(>>13への返信)
というか「依頼人は身の危険があるので出頭できません」って、現代の法廷でも普通に使われてる主張だからな。相手がネズミというだけで、弁護技術としては何もおかしくない。そこが一番笑えるところだ。

16. 海外の名無しさん
この話に関連して、1479年のローザンヌで甲虫を相手取った裁判の記録もある。被告の甲虫たちには弁護人が指名されたんだが、その弁護人は直前に亡くなったばかりの人物だった。当然、法廷に現れない。甲虫たちも(当然)現れず、結果として破門され、司教区からの退去を命じられた。

17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
故人を国選弁護人に指名するって、引き延ばし戦術どころか裁判そのものが成立してないだろ。しかも負けた側が破門って、甲虫は教会から追放されたわけか。何をどう受け止めたらいいのか分からない。

18. 海外の名無しさん
ちなみに関連する記事を読むと、同じような動物裁判の事例がいくつも載ってる。この件だけが飛び抜けて変わっていたわけじゃなくて、当時としてはそれなりに普通のことだったのが分かるよ。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
フランス語版の記事も読んでみたら、英語版にない面白い事例がもっとあった。たとえばフランス革命期、「国王万歳!」と叫ぶ癖のあるオウムがいた。飼い主は反革命分子として断頭台送りになったが、オウムのほうは新しい飼い主に引き取られ、その飼い主には「共和国万歳」「国民万歳」といった正しい革命的フレーズを教え込む任務が課された。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
オウムだけ再教育で済ませるあたり、革命政府にも情状酌量の概念はあったんだな。それで思い出したんだが、盗まれたオウムについての古いソ連のジョークがあるんだよ。

21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
これだな。怯えた男がKGBにやってくる。「うちの喋るオウムがいなくなりました」。「それはうちの管轄ではない。地元の警察に行きたまえ」。「もちろん存じております。私はただ、あのオウムが嘘つきであると公式に申し上げに来たのです」

22. 海外の名無しさん
昔の童謡は全部なにかしら事実に基づいてるんじゃないか、って思えてきた。あの妙に不穏な歌詞も、当時の人にとっては単なるニュースだったのかもしれない。

23. 海外の名無しさん
この話で一番好きなのは、判事が猫を繋げと命じた瞬間に村人が全員そろって拒否したところ。作物を守りたくてネズミを訴えたはずなのに、いざとなったら猫のほうを優先したんだよ。人間、いつの時代も自分の都合が最優先ってことだな。

まとめ

作物を荒らしたネズミを裁判にかけ、その弁護人が「猫に狙われているので出頭できない」と主張し、判事がそれを認め、村人が猫の拘束を拒んで訴えが却下される——事実の連なりだけで完成された喜劇になっている。コメント欄も「楽しそうな催し」「ネズミの勝訴おめでとう」と笑う声から、当時の世界観を丁寧に解説する声、「愚かだったのではなく前提が違うだけ」という擁護まで幅広く並んだ。笑い話として消費できると同時に、手続きを守るという発想そのものは現代とまるで地続きなのが、この一件の妙なところである。

元ソース: 16世紀フランスで、作物を荒らしたネズミが裁判にかけられた。国選弁護人は「依頼人は地元の猫に殺害を企てられており、安全に法廷まで来られない」と主張し、見事に審理を遅らせた

コメント

  1. Reddit名無しさん より:

    AIで整えた文章

  2. Reddit名無しさん より:

    形式にとらわれたアホが司る行政・司法・立法、今の時代と何も変わらんな