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「英国艦隊がボタニー湾に着いた数日後、フランスの探検隊が同じ湾に現れた」オーストラリア建国の本当の動機とは…?

「英国艦隊がボタニー湾に着いた数日後、フランスの探検隊が同じ湾に現れた」オーストラリア建国の本当の動機とは…? 歴史

「囚人が増えすぎて、地球の裏側に流刑地を作った」——オーストラリア建国というと、こう語られがちだ。でも歴史家によれば、それは理由のひとつにすぎないという。本当の引き金は、太平洋に手を伸ばすフランスへの警戒だった。じつは英国がボタニー湾に最初の艦隊を送り込んだ数日後、フランスの探検隊が同じ湾にぬっと姿を現していた。

※注:流刑植民地=罪を犯した者を本国から遠方へ送って労役させる植民地のこと。ボタニー湾は現在のシドニー近郊の湾で、英国第一船団(ファースト・フリート)が1788年に最初に到達した地点。

今日の知ってた?

📏 英国が1788年にオーストラリアへ植民したのは「監獄が満杯だったから」だけが理由ではない。歴史家は、フランスが太平洋に植民地を築いて英国の通商と海軍力を脅かすことへの恐れこそが、巨額の投資を決断させた大きな地政学的理由だったと指摘する。

背景:オーストラリア植民の通説とは

「英国はアメリカ独立で囚人の送り先を失った。だから代わりにオーストラリアへ送った」——よく語られる説明だ。確かに半分は当たっている。英国はそれまで囚人をアメリカ植民地へ送っており、独立戦争(1775〜1783年)でその行き先が消えたのは事実だ。だが「監獄の過密を解消するためだけに、地球の反対側の大陸を丸ごと植民地化する」というのは、コストを考えればあまりに不自然な話でもある。船団の派遣、食料、護衛艦——莫大な国費がかかる事業を、囚人処理だけで正当化するのは難しい。

もう少し詳しく

本当の動機は、覇権争いだった。18世紀後半、太平洋はヨーロッパ列強の新たな草刈り場になりつつあった。とくに英国が警戒したのが、宿敵フランスだ。フランスが先に拠点を築けば、英国の交易路と海軍の補給網が脅かされる。オーストラリアという広大な「空白地帯」を放置すれば、いずれ三色旗が翻るかもしれない——その恐れが、巨費を投じる決断を後押しした。

ラ・ペルーズ、ボタニー湾に現る。この緊張を象徴する出来事がある。1788年1月、英国の第一船団がボタニー湾に到着したまさにその直後、フランスの探検家ジャン=フランソワ・ド・ラ・ペルーズ率いる遠征隊が同じ湾に姿を見せたのだ。英国側は慌てて拠点を少し北のシドニー湾(ポート・ジャクソン)へ移し、入植を急いだ。数日の差で、オーストラリアの運命は分かれていたかもしれない。なお、その後フランスは1825年に西海岸へ上陸したものの、めぼしいものが見当たらず撤退している。英国の「先回り」は、結果的にやや過剰反応だったとも言える。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
そもそも「囚人を送るためだけに大陸を植民地化した」って本気で信じてた人いるの? 順番が逆でしょ。「どうやってオーストラリアに人を住まわせるか」という問題の答えが囚人だったんであって。

2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
それな。「監獄が満杯だ! 誰か今すぐ地球の反対側に土地を発見してこい!」みたいな話になるわけがない(笑)

3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
仮に過密解消が目的だったとしても、答えは「まだ手をつけてない大陸を新たに植民地化しよう」じゃなくて「すでに植民地化してるあのデカい土地に放り込もう」になるはずだよね。

4. 海外の名無しさん
オーストラリアが流刑地ってトロープが強すぎて、歴史にあまり興味のない人ほど「それが唯一の理由」だと思い込みがちなんだよ。実際には帝国主義全盛の時代だぞ、列強は片っ端から土地を取りに行ってた。

5. 海外の名無しさん
オーストラリアがフランス語圏になってた世界線、ちょっと想像してみてほしい。カフェでクロワッサン食べながらコアラと暮らすオージー…悪くないかもしれん。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
実際オーストラリアは英仏で分割されてた可能性もあったらしいよ。数日前にパースの建設史を読んだんだけど、英国は西海岸にはそこまで興味がなかった。ただフランスが入植しそうで怖かったから先に押さえた、という話だった。

7. 海外の名無しさん(>>5への返信)
そして最初にオーストラリアを「発見」したヨーロッパ人はオランダ人だったという事実も忘れないでほしい。一歩間違えれば、木靴を履いたチューリップ農家の国になってたかもしれないんだ。

8. 海外の名無しさん
そもそも囚人として送られた人たちの多くは、借金が返せなかった人や、パンを盗んだ程度の軽犯罪者——要するに貧しい人々だった。皮肉なことに、英国は健康で頑健な「種」を意図せず大陸の反対側へ移植してしまったとも言える。

9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
それと、アイルランドの政治活動家もかなり送り込まれてたんだよね。本国で投獄するより、地球の裏側に送ったほうが「刑期を終えても二度と戻ってこられない」って計算だった。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
そう、刑期が7年以上だと帰還が禁止された。だから帰してほしくない相手は、わざと刑期を7年に「水増し」するのが横行してたらしい。えげつない運用だ。

11. 海外の名無しさん
オーストラリアの伝統的なフォーク音楽が、ほぼまるごとアイルランドのフォーク音楽なのはそのせいだよ。子どもの頃ブッシュダンス(田舎の集会ダンス)に通ってたんだけど、18歳でアイルランドのパブに行ったら全曲歌詞を知ってて、自分でもびっくりした。

12. 海外の名無しさん
当時のオーストラリアは「囚人が運賃や食費を負担する」アメリカ式の奴隷的扱いではなく、英国政府が囚人のコストを丸ごと負担していた。これも「厄介者の処理」というより「戦略的投資」だった証拠だと思う。タダで人を捨てに行く事業じゃなかったんだ。

13. 海外の名無しさん
そもそも英国がオーストラリアの地図を本格的に描き始めたのは、ちょうどアメリカ独立革命の頃。存在すらおぼろげだった大陸を、いきなり植民地化できるわけがない。先に「測量」という下地があったわけだ。

14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
しかも囚人を送り始めたのはアメリカ独立戦争が終わったあと。要は「アメリカに送れなくなった」のと「フランスを牽制したい」のと「地図ができた」のが同じ時期に重なった、というのが実態に近い。

15. 海外の名無しさん
フランスは1825年に実際に西海岸へ上陸したけど、特に何もなかったから結局そのまま去っていったんだよね。英国がちょっとパニックになって過剰反応し、深く考えずに変な場所に植民地を作ったのが、あとから見るとちょっと面白い。

16. 海外の名無しさん
「囚人を送るためだけに大陸を植民地化した」って言うのは、「フランスがアメリカに興味を持ったのは娼婦を送り込むためだけ」って言うのと同じくらい雑なんだよな。確かにそういう面もあったけど、それは実態の単純化であって、他の理由を全部無視してる。

17. 海外の名無しさん
オーストラリア建国を扱った『運命の岸辺(The Fatal Shore)』っていうロバート・ヒューズの本が本当に名著だから、興味ある人はぜひ。流刑のえげつなさが淡々と描かれてて、通説のイメージがガラッと変わるよ。

18. 海外の名無しさん
タスマニア出身だけど、囚人がどう扱われたかは今ではほとんど忘れられてて、語られることも少ない。リハビリ(更生)の考え方が入ってきたのは、何十年もの国家公認の拷問と強制労働のあとの話なんだ。きれいな話じゃない。

19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
自分の理解だと、囚人として一番きつかった場所がそのタスマニアだったらしいね。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
そう、その次がポート・マッコーリー。その地の過酷さを歌った古い囚人の歌が今も残ってるよ。歌になるくらいの場所だったってことだ。

21. 海外の名無しさん
この「流刑地としてのオーストラリア」って歴史認識は、実際にオーストラリア文化に影響してるのかな? アメリカの西部開拓が「たくましい個人主義」の気風を作ったみたいに、ロマンチックに語られるだけかもしれないけど。

22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
オーストラリア人だけど、今は「先祖が囚人だった」っていうのは、アイデンティティというより面白い豆知識として語られる感じかな。ただ全体的にアメリカ人より集団主義的だとは思う。たとえば消防団が長年ボランティア中心なのも、互いに助け合わないと町ごと焼けちゃうからなんだ。

23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
それなら共通点があるね。アメリカも消防士の約7割はボランティアなんだ。でも言いたいことは分かるよ。うちの祖父はニューギニアで一緒に戦ったオーストラリア兵が大好きだった。

24. 海外の名無しさん
1990年代にアメリカの短命なシットコムで「オーストラリア人」の女の子キャラを見たことある。「オーストラリアではこう言うのよ、ジャンバックをガラーにビラボンさせちゃダメよ!」とか意味不明な単語を並べてた(笑)。当時のオージーブームが生んだ謎の偏見だ。

25. 海外の名無しさん(>>24への返信)
当時の英語圏のオーストラリア観、だいたいこのノリだったよね。実際の歴史はこんなに地政学的でシビアな駆け引きだったのに、イメージは陽気な田舎者で固定されてたのが面白い。

まとめ

「囚人の処理場」という分かりやすい物語の裏には、太平洋の覇権をめぐる英仏の冷たい駆け引きがあった——1788年のボタニー湾でほぼ鉢合わせした両国の艦隊が、それを象徴している。コメント欄では「そもそも流刑だけが理由と思ってた人いる?」という冷静なツッコミから、アイルランド系移民とフォーク音楽の意外なつながり、オランダ語圏・フランス語圏になっていた「もしも」の世界線まで、歴史好きの脱線が止まらない盛り上がりだった。

元ソース: 英国がオーストラリアを植民地化したのは監獄の過密だけが理由ではなかった——フランスへの恐れが大きな動機だった

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