映画『ジョーズ』(1975)は、興行収入もホラー史も塗り替えた金字塔。原作者ピーター・ベンチリーは、自分の小説をスピルバーグ監督と一緒に映画化するため、3度も脚本を書き直して提出した。ところが3稿とも却下、または大幅に書き直され、しかもラストの「酸素タンクをライフルで撃ち抜いて巨大ザメを爆発させる」シーンの「非現実すぎる」と監督と大喧嘩。結果、ベンチリーは撮影現場から放り出された。
※注:『ジョーズ』=1975年公開のスピルバーグ初期の代表作。サメ映画の原型を作った。
今日の知ってた?
🦈 『ジョーズ』原作者ピーター・ベンチリーは、映画版の脚本を3度書いたが全部却下、ラストの大爆発シーンを巡ってスピルバーグと喧嘩、撮影現場から追い出された。それでも映画は伝説になった。
背景:ベンチリーとスピルバーグの衝突
ピーター・ベンチリーは1974年に小説『ジョーズ』をベストセラー化させた作家で、映画化にあたって脚本も自分で書きたかった。スピルバーグは新進気鋭の若手監督で、当時28歳。ベンチリーは原作者として3バージョンの脚本を執筆したが、スピルバーグから見ると映像化に向かない要素(不倫劇、町の人間関係の長い描写)が多く、3稿とも採用されなかった。
最大の対立点はラスト。原作小説では、巨大ザメは複数の傷で体力を奪われた末に静かに沈んで死ぬ。一方スピルバーグは「観客は2時間ハラハラしてきた、最後はド派手に爆発させたい」と主張。船にあった圧縮空気タンクをサメが噛み、それをブロディ署長がライフルで撃ち抜いて大爆発——という、原作にも物理的にも無理のある演出を譲らなかった。ベンチリーは「ありえない」と猛抗議し、口論の末に撮影現場から退去させられた。
もう少し詳しく
映画版で削られたもの。原作には、ブロディ署長の妻と海洋学者フーパーの不倫、町の汚職、サメ研究者同士の確執など、スリラー以外の要素が大量にあった。スピルバーグは「サメへの恐怖だけに集中させる」ため、それらをほぼ全削除。最終脚本では原作にない場面が27もあり、フーパーは原作で死ぬが映画では生き残る。
「サメ檻が壊れる」リアル映像。フーパーが生き残ることになった裏話も面白い。撮影クルーが「無人のサメ檻を本物の白サメが襲う」シーンを撮影中に、想定外に大型のサメが檻を本気でボロボロにする映像が偶然撮れた。あまりに迫力があったので、急遽脚本を書き換えて「フーパーは脱出して生存」という結末に変えた。原作では確実に死ぬ役だった。
結末のリアリズム論争。ベンチリーが「酸素タンクは銃で撃っても爆発しない」と物理学的に正論を主張したのに対し、スピルバーグは「ここまで2時間引き込んだ観客は、多少の不合理は受け入れる」と返した。結果として映画史に残る名シーンとなり、リアリズム論争はスピルバーグの完勝に終わった。
その後のベンチリー。映画大ヒットの恩恵で原作小説も売上爆増したが、ベンチリー本人は「サメへの偏見と狩猟ブームを生んでしまった」と深く後悔。残りの人生をサメ保護と海洋生態系の啓蒙活動に捧げた。皮肉なことに、彼が罪悪感を抱いた「サメ=悪役」イメージは、別ならぬスピルバーグ版『ジョーズ』が決定的に作ったものだった。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
『ジョーズ』は「映画が原作を超えた」例として最大級のケースだと思う。映画が削った要素は全部削って正解だったし、漁師クイントは映画版のほうが10倍カッコいい。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
海洋学者フーパーも、原作よりだいぶ感じが良くなってる。原作では正直あんまり好感持てないキャラ。
3. 海外の名無しさん(>>1への返信)
原作は「町のドラマ」と「人間関係」にページを割きすぎてて、肝心の海上シーンは終盤の数十ページだけ。映画は全体の半分が海の上で、緊張感の作り方が桁違い。
4. 海外の名無しさん
スピルバーグがベンチリーの言う通り「リアルな結末」にしてたら、『ジョーズ』はヒットしなかったと思う。観客が2時間溜め込んだエネルギーをカタルシスで解放するために、あの大爆発は絶対必要だった。
5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
スピルバーグ自身が「ここまで観客の感情を握ってきたんだから、サメが粉々に吹っ飛んでもついてきてくれる」と確信してた、ってインタビューで言ってる。完全に正解だった。
6. 海外の名無しさん
原作と映画、別物として両方楽しめるタイプだと思ってる。ただ「ジョーズ」のタイトルで期待するなら映画版一択。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
ベンチリー自身、原稿料は十分もらえたし、映画ヒットで原作売上もブーストされたから、結果的には喧嘩で追い出されても勝者だったと思う。
8. 海外の名無しさん
ベンチリー、映画ヒット後に「サメ憎悪を世界中に広めてしまった」と本気で罪悪感を抱いて、残りの人生をサメ保護と海洋生態系の研究支援に費やしたんだよな。誠実な人だ。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
映画後の数年で、米国東海岸で「スポーツとしてサメ釣り」が爆発的に流行って、個体数が激減したらしい。創った本人がそれを引きずってたのは胸が痛む。
10. 海外の名無しさん
原作者と映画監督が映像化で揉めるのは、よくある話だと思う。むしろ揉めずに完成する作品のほうが少ない。
11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
小説は登場人物の内面を100ページかけて描けるけど、映画は2時間で見せきらないといけない。媒体の制約を理解してない原作者と監督がぶつかると、必ず揉める。
12. 海外の名無しさん
27シーンも原作にないシーンを足したって、もうほとんど別作品だな。よくここまで原作者を呼んだうえで自由にやれたと思う。当時のハリウッドの権力構造、すごい。
13. 海外の名無しさん
原作の「フーパーが檻の中でサメに食われて死ぬ」結末、知らなかった。映画でフーパーが助かるのは、撮影中に偶然撮れた本物のサメ檻襲撃映像が決定打だった、って話が好き。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
本物の白サメが空の檻をボコボコにする映像が想定外に撮れちゃって、「これを使わないなんてありえない」となって脚本書き換え——ハリウッドって時々こういう奇跡が起きる。
15. 海外の名無しさん
ベンチリーの父親ロバート・ベンチリーのほうが個人的には興味深い人物。ニューヨーカー誌の初期ユーモア作家、アルゴンキン円卓会の常連、最初期のスケッチコメディアン、ドロシー・パーカーの親友——とにかく多才。
16. 海外の名無しさん
「酸素タンクは撃っても爆発しない」って、たしかに理屈ではそう。でもあの瞬間、観客全員が「やった!」って叫んだのも事実。物理学に勝った演出力。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
科学的正しさより「感情の解放」を優先する判断、スピルバーグはこれが本当に上手い。E.T.でも同じ構造で、リアリズムと感情のどちらを取るか毎回ぶつかってる。
18. 海外の名無しさん
原作者と意見が割れて喧嘩別れした作品が映画史に残る、って話、『ファーストブラッド(ランボー)』も逆方向で似たような展開らしい。原作のほうが暗くて、映画は一筋の救いを足してる。
19. 海外の名無しさん
ベンチリーが映画版に絶望していたら、その後40年もシリーズ化されたあの「サメ=モンスター」の系譜は生まれてなかったかもしれない。良くも悪くも文化的影響が大きすぎる。
20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
『ジョーズ』以降、映画館で泳ぐ前に観客全員が一瞬ためらうようになった、と言われるくらい影響力があった。サメ的にはほんとに迷惑な話。
21. 海外の名無しさん
日本だと「2時間サスペンスのラストはダム」みたいな様式美があるけど、ハリウッドの「巨大爆発で締め」も同じくらい鉄板の様式美。観客はそれを期待して映画館に行ってる側面がある。
22. 海外の名無しさん
原作者が現場で揉めて追い出されるって、現代では契約上難しい気がする。70年代の映画製作の自由さがうかがえるエピソード。
23. 海外の名無しさん(>>22への返信)
逆に今は、原作者が脚本に口出しできすぎて映画化が進まない例もある。良し悪しというより、時代の力関係の問題。
24. 海外の名無しさん
スピルバーグは「最後は理屈じゃなく感情で勝つ」と信じてる人だから、ベンチリーの「ありえない」という指摘がいくら正しくても、絶対に折れなかったと思う。エンタメ作家としての覚悟。
25. 海外の名無しさん
全体として、ベンチリーが追い出されたおかげで映画版『ジョーズ』が生まれた、というのは少し寂しいけど事実だと思う。原作者の「正しさ」と監督の「面白さ」がぶつかったとき、観客は後者を選ぶ。
まとめ
『ジョーズ』原作者ピーター・ベンチリーは、映画版の脚本を3度書いて全て却下され、ラストの大爆発シーンを巡ってスピルバーグと衝突、撮影現場から追い出された。「物理的にありえない」というベンチリーの正論より、「観客の感情を解放する」というスピルバーグの直感が勝ち、結果として映画史に残る名作になった。海外の反応は「映画が原作を超えた最大例」「ベンチリーの誠実さに感動」「リアリズムよりカタルシスが勝つこと多い」など、原作と映画の関係を考える脱線が多かった。

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