「フランスといえばフランス語の国」というのは、実はかなり最近のイメージらしい。フランス革命さなかの1794年に行われた言語調査では、流暢にフランス語を話せたのは人口のわずか11%だったという。残りの大多数は、オクシタン語※1やブルトン語※2、アルザス語※3など、地域ごとにまったく違う言葉で暮らしていた。今の「フランス語の国」は、その後200年かけて作り上げられた、かなり人工的な姿だったのだ。
※1 オクシタン語(occitan):フランス南部で広く話されていたロマンス系の言語。中世には吟遊詩人の文学言語として栄えた。
※2 ブルトン語(breton):フランス西端のブルターニュ地方で話されるケルト系の言語。ウェールズ語やアイルランド語の親戚にあたる。
※3 アルザス語(alsatien):独仏国境のアルザス地方で話されるゲルマン系の方言。歴史的にドイツ語に近い。
今日の知ってた?
🇫🇷 1794年のフランスでは、流暢にフランス語を話せた人は人口の11%しかいなかった。大多数はオクシタン語・ブルトン語・アルザス語などの地域言語で暮らしており、「フランス語の国」になったのは19世紀以降の強力な同化政策の結果らしい。
背景:そもそも「フランス語」とは何だったのか
中世から近世のヨーロッパでは、「国」と「言語」は今ほどきれいに対応していなかった。話し言葉は村ごと谷ごとに少しずつ違い、隣村の言葉はだいたい通じるが、500キロ離れると相手の言うことがほとんど分からない──そんな「方言の連続体」が普通の姿だった。フランスの場合、北部にはオイル諸語※4(後のフランス語の元になるグループ)、南部にはオック諸語(オクシタン語など)が広がり、東のアルザスや西のブルターニュではそもそも語族の違う言葉が話されていた。パリの宮廷で使われた「王のフランス語」は、地方の農民にとっては外国語に近かったのだ。
※4 オイル諸語/オック諸語:中世フランスを大きく南北に分けた言語グループの呼び名。それぞれの「はい」を意味する語(oïl / oc)から名付けられた。
もう少し詳しく:革命と「フランス語の国民」を作る運動
1794年の調査は、フランス革命政府が国民の言語事情を初めて本気で測ったものだった。聖職者アンリ・グレゴワール※5がまとめた報告書によれば、領内2800万人のうちフランス語を流暢に話せたのは約300万人。「自由・平等・友愛」の革命理念を全国に行き渡らせるには、まず言葉を統一しなければ──というのが革命政府の発想だった。地方の言葉は「方言(patois)」と呼ばれ、迷信や旧体制と結びついた野蛮なものとして排除の対象になっていく。
本格的に「フランス語の国」が完成したのは19世紀後半から20世紀前半にかけてだ。1882年にジュール・フェリー法で初等教育の義務化と無償化・世俗化が進むと、学校は強力な同化装置になった。教室での地域言語使用は禁止され、ブルターニュやプロヴァンスの子どもたちは、ブルトン語やオクシタン語を話すと首から「サボ(木靴)」を吊るされたり、罰として掃除や暗唱をさせられたりしたという。歴史家ウジェーヌ・ウェーバーはこの過程を「農民をフランス人にする」と表現した。
地域言語はいまも完全には消えていない。オクシタン語・ブルトン語・コルシカ語・バスク語・アルザス語などは、話者数を大きく減らしつつ細々と生き残っている。フランスは2008年の憲法改正で初めて「地域言語はフランスの遺産」と明記したものの、公用語としては今もフランス語ただ一つ。話者の多くは高齢化しており、復興運動は綱渡りの状態が続いている。
※5 アンリ・グレゴワール(Henri Grégoire, 1750-1831):革命期の聖職者・政治家。1794年に「方言を絶滅させ、フランス語の使用を普及させる必要性についての報告」を提出した。
海外の反応
1. 海外の名無しさん
イタリアでも20世紀半ばまでだいたい同じだったはず。学校・行政・公文書を全部イタリア語に統一して、地域の言葉や方言は表舞台から消そうとした。「われわれはイタリアを作った。次はイタリア人を作らなければならない」っていう有名な言葉が全てを物語ってる。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
地域の方言は今も生きてるよ。ただ、学校で「標準イタリア語」を教え込まれてるから、皆ふだんは標準語で話す、というだけの話。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
ちなみに「標準イタリア語」って、中世トスカーナの文語をベースにした人工言語みたいなもの。だから現代のフィレンツェの町で実際に話されてる言葉とも、微妙にズレてるんだよね。
4. 海外の名無しさん(>>1への返信)
イタリア統一って、南部からすると「オーストリアが出て行ったと思ったら、今度は北のピエモンテに支配されただけ」みたいな後味があったって聞く。標準語の押し付けもその一部だよね。
5. 海外の名無しさん
地域言語って、フランス語とどのくらい違ったの?ちょっと頑張れば通じる程度?それとも完全に外国語?
6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
ざっくり言うと、北のオイル諸語(パリ周辺の方言が後にフランス語になる)と南のオック諸語の二大グループがあって、同じグループ内なら何とか通じる、グループ間でもじっくり聞けばニュアンスは取れる、くらい。一方でブルトン語・バスク語・アルザス語あたりは完全に別の言語なので、フランス人が聞いても1ミリも分からない。
7. 海外の名無しさん(>>5への返信)
ブルトン語はウェールズ語やアイルランド語に近い、れっきとしたケルト系。アルザス語はドイツ語の方言。バスク語にいたっては、世界中のどの言語とも親戚関係が見つかってない「孤立言語」。フランスのどこに行っても同じ言葉だなんて、本当はあり得なかった話。
8. 海外の名無しさん
それらの地域言語は今もフランスに数十万人〜100万人規模の話者がいるはず。完全に消えたわけじゃない。
9. 海外の名無しさん(>>8への返信)
ただ、話者の大半が70歳以上っていう問題がある。次の世代に渡せる時間はもうそんなに残ってない。
10. 海外の名無しさん(>>8への返信)
バスク語は復興運動がかなり頑張ってる。ただ、スペイン側(バスク自治州)に比べると、フランス側の復興は周回遅れと言われがち。
11. 海外の名無しさん
「強力な同化政策」って、ずいぶん柔らかい言い方だと思う。実態は「子どもが地元の言葉を話すと首にサボ(木靴)をかけて晒し者にした」みたいな話だからね。学校で殴られた、罰として掃除をやらされた、という証言はブルターニュにもプロヴァンスにも残ってる。
12. 海外の名無しさん(>>11への返信)
それを「同化」と呼ぶか「文化的なジェノサイド」と呼ぶかは立場次第。アメリカの先住民言語やアイルランド・ゲール語に対してやったことと、根っこの構造はかなり似てる。
13. 海外の名無しさん
そもそも「国民国家」って、ほぼ19世紀の発明品なんだよね。国歌・国民料理・国民衣装・国民の鳥……みんなこの時期に「あるべきもの」として整備された。フランス・イタリア・ドイツがちゃんと一つの国の形になったのもこの頃。中世の農民に「あなたは何人ですか」と聞いても、領主の名前か信じてる宗教を答えただけで、たぶん「フランス人です」とは言わなかったと思う。
14. 海外の名無しさん(>>13への返信)
だから「うちの民族の起源は古代ローマ時代に遡る」みたいなロマンチックなナショナリズムって、後付けの神話としか思えないんだよね。
15. 海外の名無しさん
中国は紀元前からこれをやってる。戦国時代の終わり頃には、征服した地域の住民を内陸に強制移住させて、代わりに自分のところの住民を移植して文化を入れ替える、というのが普通に行われてた。やり方はずっと洗練されているだけで、新しい話ではない。
16. 海外の名無しさん
日本も19世紀末まで似た状況だった気がする。書き言葉は1000年前の古典日本語か、中国語を日本式に読み下したもの。話し言葉は地域ごとに別物で、東京と大阪のアクセントの差は、フランス語とスペイン語くらい違う感覚。沖縄の言葉なんて、フランス人にとってのルーマニア語みたいなもので、書けば何となく分かるけど聞いても分からない、というレベル。
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
明治政府が標準語を作って学校で叩き込むまで、藩ごとの方言は本当にバラバラだったらしいね。同じ国どうしの侍が会話に通訳を必要とした、って話まである。
18. 海外の名無しさん
パリとマドリードの人たちが「自分たちの話し言葉は、もうラテン語とは別物だ」と気づくのに600年かかった、という話を読んだことがある。書くときはずっと正式なラテン語を使い続けて、口で話してる方は意識せず変化していった。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
正確には「気づかなかった」んじゃなくて「気にしなかった」が近い。口語のラテン語(俗ラテン語)は野蛮人の言葉、書き物は正式なラテン語、という棲み分けがローマ時代からあった。書き言葉さえ共通なら、遠く離れた相手とも文通できるから便利。中国の漢文やアラビア世界のアラビア語と同じ構図だよ。
20. 海外の名無しさん
『フランスの発見』(グレアム・ロブ著)という本がこのテーマを扱っていて面白い。フランス革命直前まで、パリから少し離れただけで言葉も習慣もまるで別世界、というのを大量のエピソードで描いている。
21. 海外の名無しさん(>>20への返信)
ウジェーヌ・ウェーバーの『農民をフランス人にする(Peasants into Frenchmen)』もド定番。「フランス人」というアイデンティティが、学校・徴兵・鉄道・新聞によって田舎の隅々まで配達されていく過程が、これでもかと細かく描かれてる。
22. 海外の名無しさん
11%という数字は、たぶん「流暢に読み書きできる」の最も狭い定義で取った数値だと思う。実際にはフランス語を第二言語として日常的に使っていた人はもっと多かったはず。とはいえ「母語として暮らしていた」と言える人が少数派だったのは、ほぼ間違いない。
23. 海外の名無しさん
フランス人が自国語にやたら厳格なのって、こういう歴史背景を知るとちょっと納得する。苦労して作った「フランス語の国」だからこそ、英語のカタカナ語に簡単に侵食されたくない、という防衛本能が働くんだろうな。
24. 海外の名無しさん
ヨーロッパは19世紀でこのプロセスを終えたけど、アジアやアフリカでは今もこの真っ最中の国がたくさんある。中国の少数民族言語、インドネシアの地方語、アフリカの植民地境界線で分断された言語……規模感が全然違うだけで、根っこは同じ問題。
25. 海外の名無しさん
こうして見ると「国」って自然にあるものじゃなくて、200年かけて学校と軍隊と新聞で作り上げた、けっこう新しい人工物なんだなと改めて思う。地図に引かれた一本の線の向こうとこっちで人間が劇的に違う、というのは19世紀以降のフィクションに近い。
まとめ
1794年のフランスでフランス語を流暢に話せたのは人口のわずか11%。残りはオクシタン語・ブルトン語・アルザス語など、地域ごとに違う言葉で生きていた。「フランス語の国フランス」は革命後の同化政策と19世紀後半の義務教育によって作り上げられた、わりと最近の姿だ。コメ欄では「イタリアも日本も中国も似た歴史をたどった」「『同化』というより文化的ジェノサイドに近い」という声が並ぶ一方、「国民国家そのものが19世紀の発明品」と一歩引いて眺める意見も多い。地図の上にある「国」の輪郭が、思っていたよりずっと最近に描かれたものだと気づかされる豆知識だった。


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