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ゲティスバーグの戦いの市民犠牲者は唯一一人|パン生地をこねていた20歳の悲劇

歴史

1863年7月、南北戦争の激戦地となったペンシルベニア州ゲティスバーグ。3日間の戦闘で約5万人の死傷者を出したこの戦いで、唯一亡くなった「市民」の女性がいた。名前はジェニー・ウェイド、20歳。彼女が撃たれたとき、台所でパン生地をこねていた。後に彼女の母は、ジェニーが「兵士のためにパンを焼いていた最中に殉死した」として、米国上院から年金を授与されることになる。海外掲示板でこの逸話が紹介され、史実の細部と「なぜ逃げなかったのか」を巡って熱い議論が交わされた。

今日の知ってた?

🥖 ゲティスバーグの戦いの市民犠牲者は、ジェニー・ウェイドただ一人(1863年7月3日、20歳没)。

パン生地をこねている最中、2枚の閉じたドアを貫通したミニエー弾が左肩から心臓に達し、即死。被弾時の生地は母親が後にパンに焼き上げ、15斤に分けて北軍兵士に配ったという。

1882年、米国上院は「合衆国のために尽くしたパン焼き」としてウェイドの母に年金を支給した。

背景:ゲティスバーグの戦いとジェニー

ゲティスバーグの戦い(1863年7月1日〜3日)は南北戦争最大の激戦で、北軍と南軍合わせて約5万人の死傷者を出した、米国史上最も血なまぐさい3日間の一つ。戦場は田園と森のはずだったが、5本の街道が交差する小さな町ゲティスバーグそのものが戦闘地帯になった。

当時20歳のジェニーは、新生児を抱える姉ジョージア(人名)の家に手伝いに行っていた。姉の家は町中心部に近く、戦闘初日から砲弾と銃弾が飛び交う最前線になった。家には3日間で150発以上の弾痕が刻まれたという。

もう少し詳しく

弾道がコルセットに止まるという奇跡。 7月3日朝8時頃、台所でパン生地をこねていたジェニーに向かって、台所のドアと居間のドア、計2枚を貫通した銃弾(ミニエー弾)が飛んできた。弾は左肩甲骨を貫通し、心臓を撃ち抜いて、彼女が着用していたコルセットに食い込んで止まった。即死だった。

母が遺した「兵士たちのパン」。 ジェニーが死亡したときにこねていた生地は、後に母が15斤のパンに焼き上げ、北軍兵士に配った。彼女の遺体は北軍兵士が縫い物のキルトで包み、地下室に運ばれた。最終的にエバーグリーン墓地(リンカーン大統領が「ゲティスバーグ演説」を行った場所)に埋葬された。

米国で「永続的星条旗」が掲げられる数少ない女性墓。 1900年、ジェニーの墓には立派な墓石と「永続的に掲揚される星条旗」が設置された。米国でこの栄誉を受けた女性の墓は数えるほどしかない(独立戦争で星条旗を縫ったベッツィ・ロス(人名)の墓も同種)。

1882年の年金授与。 ジェニーの母は、娘が「合衆国のために尽くしてパンを焼いていた」として上院から年金を受給した。当時の連邦年金は本来「兵士の遺族」のためのものだったが、市民であるジェニーの行為が「奉仕」と解釈された異例の事例。

海外の反応

1. 海外の名無しさん
ゲティスバーグに何度か行ったことがあるが、あの戦場と町を見ると、市民死者がたった一人というのは奇跡であり、同時に悲しみでもある。

2. 海外の名無しさん
ジェニーの墓は米国でも珍しく「女性に対して永続的に星条旗が掲げられる場所」の一つ。もう一つは独立戦争のベッツィ・ロスの墓。これだけでも十分すごいことだ。

3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
弾が2枚のドアを貫いて心臓に達し、コルセットで止まった。銃弾の軌跡そのものが歴史の象徴みたいだ。

4. 海外の名無しさん
記事を読むまで詳細を知らなかったが、姉の家は3日間で150発以上の弾痕が残ってたらしい。家族みんなで姉の家にいたのに「逃げない」という選択をしたのは凄まじい。

5. 海外の名無しさん(>>4への返信)
「ここは私の家だ、糞食らえ、絶対動かない」というのは、災害や戦争に対する人間のごく普通の反応だ。歴史的に見ても珍しい話じゃない。

6. 海外の名無しさん(>>5への返信)
セント・ヘレンズ山の噴火のとき、避難命令を拒んで山小屋に残ったハリー・トルーマン(大統領じゃない方)を思い出す。あの頑固で口の悪いジジイの逸話は今でも語り草。

7. 海外の名無しさん
そもそも「逃げる」ってどこへ逃げる? 当時は車もないし電話もない。前線の正確な位置すらわからない。「数キロ先の隣町に行けばよかった」みたいな後付けの正論はキツい。

8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
姉の家がそもそも「数キロ離れた場所」だったんだが、戦闘が始まると町自体が戦場に飲み込まれた。ゲティスバーグは5本の街道が交差する場所で、町全体が戦線になった。

9. 海外の名無しさん
1900年代初頭まで、戦争はだいたい遠くの平原や森で行われた。武器の射程と威力が短かったから、市民が直接巻き込まれる頻度は今よりずっと低い。ジェニーが「唯一の犠牲者」になったのもそういう時代背景がある。

10. 海外の名無しさん(>>9への返信)
それは半分しか正しくない。中世の包囲戦、モンゴルの遠征、近世の傭兵略奪、あらゆる時代で市民は「戦利品」として標的にされた。むしろ「市民が安全だった時代」など歴史にはほぼ存在しない。

11. 海外の名無しさん(>>10への返信)
モンゴル軍が「いやいや、街は壊したくないので、こちらの平原で会いませんか?」と提案するシーンを想像して笑った。

12. 海外の名無しさん
姉の名前が「ジョージア」というのも勘違いされがち。州名じゃなく、ジェニーの姉の名前。新生児を抱えた姉を助けに来ていたのが、結果的にジェニーの命を奪った。

13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
それを知らないと「南部のジョージア州にいたの?」と勘違いするよね。教えてくれてありがとう。

14. 海外の名無しさん
ジェニーの姉ジョージアが新生児を抱えていたという事実が重い。動けなかったんじゃない、動かなかったんだ。家族の判断だ。

15. 海外の名無しさん
子供の頃にジェニーの家を見学したんだけど、地下室ツアーに参加した。ツアー中、奥の石の上に座って待ってたら、説明用のテレビが「ここがジェニーの遺体が一時的に置かれた場所です」と説明し始めた。人生で一番素早く飛び上がった瞬間。

16. 海外の名無しさん(>>15への返信)
それは霊感なくても飛び上がるわ。資料館あるある。

17. 海外の名無しさん
今でも変わらない。サラエボ包囲戦、ハリケーン・カトリーナ、チェルノブイリ周辺の住民。「家を離れたくない」「離れられない」と判断する人は時代を問わず存在する。ジェニーを「愚かだった」と切り捨てるのは違う。

18. 海外の名無しさん(>>17への返信)
ウクライナの侵攻時も同じ話があった。高齢の住民が「ここが私の家だ」と言って避難を拒み、ウクライナ軍が後で救出に行く事例。人間の家への執着は時代を超える。

19. 海外の名無しさん
1882年の年金授与の文言が泣ける。「合衆国のためにパンを焼いていて死んだ」――公式記録に残る、平凡だけど誇り高い貢献の形。

20. 海外の名無しさん(>>19への返信)
当時の連邦年金は本来「兵士の遺族」用なので、これを市民の母親に支給したのは異例。ジェニーの死が単なる事故じゃなく「奉仕」と認識されたんだ。

21. 海外の名無しさん
お通夜には、みんな小麦粉を持って弔問に行ったんだろうね(不謹慎ジョーク)。

22. 海外の名無しさん(>>21への返信)
時期尚早なジョークだぞ……(160年前の話)。

23. 海外の名無しさん
当時20歳。新生児を抱えた姉を手伝うために来ていただけ。戦争はいつだって、家庭の中の一番平凡な瞬間に飛び込んでくる。台所でパンをこねる――これ以上日常的な光景はない。

24. 海外の名無しさん
ジェニーの墓があるエバーグリーン墓地は、リンカーン大統領が「ゲティスバーグ演説」を行った場所でもある。歴史的に二重に重要な土地。

25. 海外の名無しさん
コルセットが弾を止めた、というディテールが妙に詩的。鎧として機能したわけじゃないが、彼女の体を貫通させずに留めた。死後、母親が遺体を確認しやすくしたのかもしれない。

まとめ

南北戦争最大の激戦・ゲティスバーグの戦いで、唯一の市民犠牲者となったジェニー・ウェイド。新生児を抱えた姉を手伝いに来ていた20歳の女性が、台所でパンをこねている最中に2枚のドアを貫通した銃弾で即死。母が後にその生地をパンに焼き上げ、北軍兵士15人に配ったというエピソードは、19年後の1882年に米国上院が「合衆国のために尽くしたパン焼き」として母親に年金を授与する根拠となった。

「なぜ逃げなかったのか」という現代的な問いに対しては、コメント欄で「家への執着は時代を超える」「数キロ先に逃げる手段が当時はなかった」「姉が新生児を抱えていた」など多様な視点が寄せられた。家族の事情と歴史の偶然が交わった、忘れがたい逸話だ。

元ソース: TIL ゲティスバーグの戦いで唯一の市民犠牲者ジェニー・ウェイドはパンを焼いている最中に流れ弾で死亡。1882年米国上院は彼女が「合衆国のために尽くした」として母親に年金を授与した(元投稿)

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