世界中で愛される自然番組のレジェンド、デイヴィッド・アッテンボロー卿。今や「自然の声」として世界中で知られるが、海外掲示板で「実は彼、1960年代にBBC2の局長として運営していた、しかもモンティ・パイソンを発注したのも彼」という事実が話題になり、コメント欄は驚きと敬意で埋まった。BBC事務総長の最有力候補にすら推されていたが、彼はあえてその道を選ばなかった。
※注:BBC(英国放送協会)は英国の公共放送局。「BBC2」は1964年開局の第二チャンネルで、より実験的・文化的番組を扱う枠。「モンティ・パイソン」は1969年から放送されたシュールなコメディ番組で、現代のコメディに絶大な影響を与えた英国の伝説的シリーズ。
今日の知ってた?
📺 デイヴィッド・アッテンボローは1965〜1969年、BBC2のコントローラー(局長)を務めていた。 当時BBC2はカラー放送への移行期で、彼が編成方針を決めていた。
🐍 局長時代に「モンティ・パイソン・フライング・サーカス」(1969年)の放送を承認したのが彼。
🎖 後にBBC全体の事務総長候補に推されたが、辞退して自然番組制作の現場へ戻った。今週金曜(5月8日)が100歳の誕生日。
背景:管理職アッテンボローの時代
1926年生まれのデイヴィッド・アッテンボローは、ケンブリッジ大学で動物学を学んだあと1952年にBBCに入局。最初はプロデューサーとして、誰もテレビを見たことすらない時代に「テレビとは何か」を試行錯誤しながら作っていた世代だった。1954年からは自然番組『Zoo Quest』の司会も務めるが、これは本来の司会者が病気になったための代役登板だったという。
1965年、彼はBBC2のコントローラーに就任。これは「飾りのポスト」ではなく、開局間もないチャンネルのアイデンティティをゼロから作る仕事だった。カラー放送への移行を主導し、より実験的な編成にチャンネルの色を出した。
もう少し詳しく
テニスボールが黄色いのも彼のおかげ。 アッテンボローはカラー放送をアピールするために、当時白かったテニスボールを蛍光イエローに変える働きかけをしたとされる(白いボールは白黒テレビでも目立つが、カラー画面では芝生に紛れて見えにくかった)。同じ理由で1969年に『Pot Black』というスヌーカー(ビリヤードに似た英国の競技)番組を立ち上げ、これがきっかけでスヌーカーは「パブの遊び」から「英国民的スポーツ」へと格上げ。1985年の世界選手権決勝は英国人口の3分の1(約1850万人)が視聴したという。
BBC事務総長を辞退して現場に戻った。 1969年頃、彼はBBC全体のトップである事務総長の候補として名前が挙がったが、本人は「経営の道は私の心ではない、自然番組の制作に戻りたい」と辞退。その判断が後に『Life on Earth』(1979)→『The Living Planet』→『Blue Planet』→『Planet Earth』という伝説的シリーズ群につながった。
アポロ月面着陸時のエピソード。 1969年のアポロ11号月面着陸の際、彼はBBC2の通常編成を全部キャンセルしてNASAのライブ中継を流した。アポロ12号でも同じ判断をした際、ある視聴者から苦情の電話が。アッテンボロー「人類が月の上を歩いているんですよ!」 視聴者「あの人たち、いっつも月を歩いてるじゃない!」
海外の反応
1. 海外の名無しさん
覚えておくべきは、BBC2のコントローラー職は飾りじゃなく、開局したばかりの新チャンネルを実質的に運営する仕事だったこと。彼はゼロからそのアイデンティティを作り、カラーTVへの移行を導き、編成判断で実験的な色を出した――そのひとつが『モンティ・パイソン』の発注だ。
後にBBC事務総長候補に推されたが、経営から離れて番組制作に戻る道を選んだ。これは「上層管理職よりも現場のクリエイティブ仕事を選ぶ」という彼の一貫したパターンに合致する。彼は白黒・カラー・HD・3D・4K全ての形式でBAFTA賞を受賞した唯一の人物で、テレビ自然史番組での最長キャリアでギネス記録保持者。今週金曜(5月8日)に100歳の誕生日を迎える。
2. 海外の名無しさん(>>1への返信)
彼が事務総長を辞退して制作に戻ったのは、『Life on Earth』を作るためだったんだよな。あれが彼の最高傑作だと俺は思う。進化を主題にした、本当に優れた科学番組だった。
3. 海外の名無しさん(>>2への返信)
そもそも「プレミアムなドキュメンタリーシリーズ」という形式を生み出したのも彼の編成判断だ。ケネス・クラークの『Civilisation』、ブロノフスキーの『The Ascent of Man』、その後の『World At War』『Connections』『Life on Earth』――これら全部が彼の発注した路線の延長線上にある。
4. 海外の名無しさん(>>1への返信)
彼の自伝『Life On Air』は本当に素晴らしい本。テレビ初期の混沌、誰もがテレビ言語と番組形式を発明しようとしていた時代の話が満載。彼自身、入局時はテレビすら見たことがなかった。番組プロデューサーから司会業に転身したのは、本来の自然番組司会者が体調を崩したから。当時の上司の一人は「彼の歯はテレビには大きすぎる」って判断したらしい。
5. 海外の名無しさん(>>1への返信)
彼は本物のヒーローだ。普通なら絶対手に入らない金と権力のチャンスを何度も得たのに、彼は何度も自然番組と保全活動の現場を選んだ。英語圏の人間の多くが「自然がどうなっているか、何が脅かされているか」を彼の声から学んだ。
6. 海外の名無しさん
彼はカラーTVを売り込むために、テニスボールを白から黄色に変えるよう働きかけたんだぞ。
7. 海外の名無しさん(>>6への返信)
さらに1969年に『Pot Black』というスヌーカー番組を立ち上げてカラー放送をアピールした。それでスヌーカーは「パブのゲーム」から英国で最も視聴される競技に成長して、1985年の世界選手権決勝は英国民の3分の1が観た。
8. 海外の名無しさん(>>7への返信)
ということは、彼は間接的にあの伝説の実況ミスを生んだことになる――「彼はピンクを狙っています。白黒テレビをご覧の皆様、ピンクはグリーンの隣です」。
9. 海外の名無しさん(>>6への返信)
これがチャック・ノリス系のジョークじゃなくて全部実話だっていうのが信じがたい。「悪ぶる」のではなく「世界を実際に良くする」決断を意図的に積み重ねてきた人。
10. 海外の名無しさん
BBCで局長になる前、すでに『Zoo Quest』(1950年代〜60年代初頭)の司会で十分有名だった。あれは彼が本来プロデューサーだったのに、司会者が病気で代役を頼まれたのがきっかけ。
11. 海外の名無しさん
BBC2のスケジュールを全部キャンセルしてアポロ11号月面着陸の生中継を流した話、好きすぎる。アポロ12号でも同じことをやって、苦情電話が来た。
アッテンボロー「人類が月を歩いているんですよ!」
視聴者「あの人たち、いっつも月を歩いてるじゃない!」
12. 海外の名無しさん
彼はBBC事務総長になるチャンスがあった。背景に消えてもっとお金を稼ぐ選択肢もあった。でも彼は前面に立つ「カリスマ的教育者」として保全活動の顔になることを選んだ。彼は自分の能力と関心が、それに最適だと(正しく)判断したんだ。
13. 海外の名無しさん(>>12への返信)
角度を変えて考えてみよう。彼は人類史上最も偉大な人物の一人として記憶される。一方、平均的な億万長者は「地球と人類への災い」としてしか記憶されない。彼の方がはるかに「裕福」だと俺は思う。
14. 海外の名無しさん
彼が間もなく100歳というのが信じられない。同年代の男性はみんなとっくに引退していたのに、彼はまだ『プラネットアース』も『ブルー・プラネット』もリリースする前だった(つまり70歳過ぎから新作を量産した)。
15. 海外の名無しさん
1956年のスエズ動乱のドキュメンタリーで彼が登場するのを見たことがある。当時の英首相アンソニー・イーデンにインタビューして「明らかに疲れている、声明を出すより一晩休むべきだ」と助言した話を語っていた。当時はまだ時事報道もやっていて、専門分野を絞り切っていなかったらしい。とんでもないキャリアだ。
16. 海外の名無しさん
じゃあ彼がスペイン異端審問の責任者でもあったってことか!
(モンティ・パイソンの有名コント「誰もスペイン異端審問を予想しなかった!」のネタ)
17. 海外の名無しさん(>>16への返信)
そして誰も予想しなかった、と。
18. 海外の名無しさん
私は1961年生まれ、彼が初めてBAFTAを獲った年。65年経って、彼はまだ第一線にいる。退職まで数年の私とは大違い……。
19. 海外の名無しさん(>>18への返信)
あの方は本当に自分の仕事を愛している。それは称賛すべきことだ。一方私は35年働いて、退職まで日数を数えるのが日課。
20. 海外の名無しさん
完璧なドキュメンタリーのナレーションをくれた人が、フライング・サーカスの福音まで広めてくれていたのか。なんて素晴らしい人なんだ。
21. 海外の名無しさん
昨日(英国で)「Making Life on Earth: Attenborough’s Greatest Adventure」という素晴らしい彼の特集番組があった。英国にいる人はiPlayerで観てほしい。
22. 海外の名無しさん
ちなみに彼はBBCより4歳年下なだけ。彼自身がほぼBBCの歴史そのもの。
23. 海外の名無しさん
スーパーで使ったショッピングカートをきちんと所定の場所に返すことでも有名らしい。
(イギリス人らしい慎ましさ)
24. 海外の名無しさん
今週金曜(5月8日)が100歳の誕生日。これは祝うべき。
25. 海外の名無しさん
私が初めて見たカラーテレビ、本当に魔法みたいだった。あのカラー革命を導いたのが彼だと思うと感慨深い。「I am the BBC」と言える数少ない人物、アッテンボロー卿、まさに生きる伝説。
まとめ
世界的自然番組のレジェンド、デイヴィッド・アッテンボロー。実は1960年代後半にBBC2の局長を務め、モンティ・パイソンの発注やテニスボールの黄色化、スヌーカー番組の創設など、英国テレビ史を形作る編成判断をいくつも下していた。BBC事務総長候補にも推されたが「経営より制作現場」を選んで辞退、その後の『Life on Earth』『プラネットアース』『ブルー・プラネット』に繋がった。
海外コメント欄では「彼は本物のヒーロー」「平均的な億万長者は地球の災いとしてしか記憶されないが、彼は人類史上最も偉大な人物の一人として記憶される」と賛辞が並んだ。今週金曜(5月8日)が100歳の誕生日で、英国TV史と彼自身の人生がほぼ重なるという事実――まさに「I am the BBC」を体現する人物の知られざる経営者時代の話だった。
元ソース: TIL デイヴィッド・アッテンボローは自然番組のレジェンドになる前、60年代にBBC2を運営しモンティ・パイソンを発注した(元投稿)


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